週末に 自宅で仕事 風邪も引く2009年01月10日 20時49分02秒

今日は午後から自宅で仕事をする事になっていたので早めに用事を済ませたかったのだけど、どうにも思うように事が進まなかった。
特に病院の方は年明け最初の週末という事もあって、待ち時間が普段よりも長くなってしまった。

帰り道は随分と風が強くなっていて、ペダルを踏んでも前へ進まないばかりか手も足も冷たくなってしまった。
さすがは夕方から雪が降るかも知れないと噂された寒い日の翌日だけあって本当に冷たい風だった。

昨夜に続いて今日も冷たい風に当たったのが良くなったのか、帰宅途中から背筋に冷たいものを感じ始めた。
嫌な予感が現実のものとなったのは昼食を食べている最中で、自室へ戻る頃には風邪の症状が本格的に出てしまっていた。
そんな状態でも仕事をしなければならず、今日まで素材を提供してくれなかった依頼元を恨みながらの作業となった。

症状は本人の想像よりも酷かったようで、インストール作業の合間などにウトウトとして意識が飛んでいる場面も何度か在った。
その影響もあって作業の進み具合は今一つで色々と不安の絶えない週末となりそうな予感がする。

ひとまず明日は風邪を他へ感染させてしまう恐れもあるから自宅で仕事をする事になりそうだ。

休みでも 出勤せねば 間に合わん2009年01月11日 21時09分36秒

今日は人生初の休日出勤となったわけだがG社長から昼過ぎの13時以降に出勤することを推奨されたため、平日と同じ時間に起床して寝間着のままPCに向かって作業を始めた。
そのまま 2時間ほど自室で作業をして出勤するつもりだったのだが、タイミング悪くストーブが燃料切れで火が消えてしまった。
つい先日に雪を降らせるかも知れないと騒がれた寒気団の残党が色濃く残る日の朝は暖房を使わずに堪えられるほど優しくはない。

燃料を補給してきても火が消えるまで使い切った状況からだと、ストーブの内部に燃料が回るまで待たなければならない。
ストーブの熱があっても寒くて凍えそうだったのに、それすらもないとなると作業ができるような状況ではない。
そんな感じで思い切り出鼻を挫かれてしまったから仕方なく作業内容を出勤の準備へ切り替えて、予定よりも早く出勤してしまうことにした。

昼食は食べられるか怪しかったので少し多めに朝食を食べて、ついでに糖分も多めにしておいた。
朝の糖分を意識的に多くするなんて大学受験の当日以来という実に珍しい行動を取った辺りからも自分が切羽詰まっている事を再確認させられた。

何と言っても人生初の休日出勤という事で、休日に休まず仕事をしていて次の 1週間を無事に乗り越えられるか、といった不安も影響しているだろう。
何より納期へ間に合わせる事ができるのかどうか、見通しが立っていないという状況が恐ろしくて、軽く混乱している面も感じられる。
そんな不安やら恐怖やらに対抗すべく、できる限りの備えを取っていたわけだ。

そんな切迫した気分で会社へ向かって到着して早々に作業を開始したのだけど、やはり画像編集ソフトを使った作業は慣れない。
ただでさえマウスという入力デバイスが嫌いなのに、苦手な画像編集をやれというのだから波が出てくる。
文句を言う暇も惜しんで作業をしたのだけど、どうにも散三歩進んで二歩退がるようなペースでしか進まないという状況が続いた。

どうにか 3つある画面の内の 1つが完成した時にはすっかり日が暮れてしまって、時計も夜20時を指していた。
ひとまず最も画像が多くて面倒なこと極まりない画面が一段落したので、少しだけ詐欺が見えたけど明日も当然のように出勤することになる。
さて、どうなることやら・・・

疲れ果て 帰る途中の 道がない2009年01月12日 21時42分26秒

今日は成人の日という祝日なのだけど当然のように出勤して仕事をしていた。
作業は相変わらず素材となる画像を加工したり切り抜いてたりする開発の準備段階が殆どで、実際にプログラムを作っていた時間は 1割にも満たない。
何より操作の 9割がマウスでしか行えない作業で、根っからのキーボードユーザーにとっては 2重に辛い仕事だった。

更に今日の編集対象となった画面は後々に修正される可能性が高かったのでファイルを細分化して作業を行っていた。
もし変更が入った場合を考えると便利な構造なのだが、全てのファイルを編集対象とするリリース前の作業においては不便なだけだった。
途中で失敗したかと思ったのだけど、その時点では進もうと戻ろうと大差のない段階まで来てしまっていた。
仕方がないから最後まで細分化した状態で押し通したけれど、消しておくべき画像を表示したままで切り抜いたとか小さなミスをした時のダメージは軽くトラウマになりそうだった。

苦労を繰り返した結果は手付かずだった 1つの画面を 8割くらいまで完成させる事ができた。
作業途中の画面で残っている作業はストーリー紹介のテキストに登場する特定の文字をクリックできるようにしていく作業だ。
ストーリー紹介のテキストは全部で49ページもあって、ページ単位の作業時間は 2分くらいだとしても合計で 2時間近くなる計算となる。
今回は全般において複雑さより物量の多さに苦労させられる場面が非常に多くて、今までにない疲労感を味わっている。

それでも今日の作業はストーリー紹介だった事もあって、いくつも笑いのネタを見つけて細かく息抜きができただけ楽だった気がする。
特にオタク的な視線で読んでいくと「ツンデレ」「ヤンデレ」「急展開」「百合」なんてフィルターに幾つも引っ掛かる設定があって大いに楽しめた。
ある意味で修羅場のはずなのに随分と余裕もあったものだと呆れるところだけど、どんな状況でもネタを逃さないのがオタクと呼ばれる所以なのかも知れない。


こんな感じで夜遅くまで作業をして疲れた帰り道、電車が人身事故の影響で運転を見合わせていた。
しかも、今回は俺が下車する駅で事故が起きたらしくて迂回路となる路線も動いていなくて運転再開を待つしか選択肢がなかった。
今日が成人の日という事を考えると、新成人の誰かが馬鹿騒ぎの宴会を開いて泥酔した上に線路へ転落したというパターンかも知れない。
普段なら人身事故という言葉を聞いても、亡くなった人もいる可能性を考えて迷惑な話だとか考える事はしないのだけど、今日に限っては苛立ちを感じてしまう。

さて、何時に帰れるのやら・・・

締切に 追われ続けて 疲れたよ2009年01月13日 22時31分11秒

三連休まで作業に当てて取り組んできた案件の締め日が今日となっていて、完成の目処は立っていたけど何か言いしれぬ不安を感じて普段より早く出社した。
時間にして40分程度だけど少しでも早く「締め切り」という呪縛から解放されたくて必死にだった。
そんな苦労の甲斐もあって無事に完成させられて、今日は久々にのんびりと帰宅できるはずだった。

残っていた作業の 4割弱が完了した11時頃になって「これって小さすぎない?」という話に聞こえ始めた。
何故に締め日を迎えてから根本的な問題点が指摘される事態となったのかというと、他の 2人が各々の作業に手一杯で確認が成されていなかったためだ。
今日になって彼等の作業が一段落して見てみると、想像よりも文字サイズが小さかったから修正すべきではないかとの意見が出たわけだ。

俺としても作っている途中から文字が小さすぎて読めないのではないかと懸念してたあったので指摘されて当然だと感じた。
検討した結果、提供された画像を原寸サイズのままで作り直す事になって再び画像の加工と切り抜きを繰り返す羽目となった。
しかも、今回は画像のサイズが根本から変わってしまうため前回の設定が殆ど流用できないという厳しい条件が突きつけられた。

前にやっている作業の繰り返しではあるのだけど、対象となる画像の数が半端ではなくてサイズ変更の作業が完了したのは夜21時だった。
奇しくも早めに出勤して 9時に出社していたから半日が経過したところで本日の振り出しに戻った形となった。
今日の作業は画像のサイズが変更されると全てやり直しとなるため正真正銘の振り出しだった。
違う点としては振り出しに戻った時点で体力は完全に尽き果てて、手の震えや胃が焼ける痛み、更にストレスからホルモンバランスが崩れたのか耳まで壊れ始めていた。
そんな満身創痍の状態でスタート地点へ立たされて、さすがに気力も枯れてしまった。

幸いにして今日の締め日は社内締め切りでクライアントへの提出期限は明日中となっていた。
そのため今日は切り上げて帰ってきたけれど締め切りを破ったのは初めての経験は予想を遙かに超える精神的なダメージをもたらしてくれている。
ひとまず作業から解放されてホッとすべきところなのに、胃の痛みは加速するばかりで帰宅途中に行き倒れても可笑しくないとさえ感じる。

やはり用意してもらえるはずだった素材が届かなかったという状況に怒りを感じるしかないわけだけど、そんなもんだと言われた納得するしかない。
俺らが生きている世界はそういう理不尽さの上に成り立っているのだと、再認識させられる 1日だった。

地獄から 抜け出す夜の 帰り道2009年01月14日 20時40分46秒

地獄から 抜け出す夜の 帰り道

長らく悩まされていた案件がやっと終わりまして、今日は久しぶりにノンビリと帰宅している。
改めて振り返ってみると、今回の開発は用意されているはずだった素材を自前で用意する作業が全行程の 8割近くを占めている。
それさえ当初の予定通りに提供されていれば、ここまで酷い状況へ陥ることはなかっただろう。

何だかんだと文句を言ったところで何も始まらない。
今に必要なのは今回の事を教訓にして、次はもっと上手く立ち回れるようにすることだ。
ひとまず作業の開始時点で届いていない素材はそのまま届かない可能性があると思って作業を進めておくべきだろう。
幸か不幸か今回の件があって簡単な画像編集は覚えたから、提供された画像を自分が思うように整える程度はできるようになった。

これなら自分が想定していたのと違った形で素材が届いても、システムに画像を合わせる事ができるようになる。
今までは画像が変な形で届いてしまうと作り直す羽目になるので、祈るような気持ちで素材が届くのを待っていた。
今にしてみれば随分と甘い考えだけど、別件も抱えていた仕方がなくもある。

そんな反省も交えながら、ここ数日に発売された雑誌を読んだりと寄り道を繰り返しながら家へ向かっている。
本当は寄り道も程々にして帰宅したい所だけど、溜まりきっているストレスから派生する欲求はどうにも抑えきれない。
今だって眠気に襲われて四苦八苦しているし、空腹感もあって眠いのと空腹が同時に襲ってきていたりする。

本当は忙しさと愚痴に埋もれてしまった小ネタを使っていこうと思っていたはずなのに、気が付けば連日の続きとなってしまった。
やはり何も考えずに書き始めるとこういう結果になってしまうわけだ。
ここでも準備不足を指摘されて当然の状況が目の前に広がっていたりする。

探さなきゃ 幸せなんて 密からぬ2009年01月15日 20時18分27秒

このところ帰りの電車が連日のように遅れて寒風に晒される時間が長くて少し辛かったりする。
最近は日中でも身震いがするような寒さを感じる事もあるくらいで遅延の言葉を聞くと魂が抜けそうな溜め息が出てしまう。
何と言ってもホームの上は冷たい北風を遮る物がなく、身に染みる寒さに指先は携帯を操作したくても思うように動かせないほど冷えてしまう。

身に染みる北風を受けながら思ったのだが、月曜日の帰り道に人身事故の影響で電車が運転を見合わせていた時は車内で運転再開を待っていられたから楽な方だったのだろう。
あの日は休日出勤をした上に遅くまで残業した帰りだったから、精神的にも肉体的にもかなり衰弱していた。
そんな状態で今日と同じようにホームで待たされていたら風邪を引いてダウンしていた可能性が非常に高い。


今にして思うと、月曜の帰り道は人身事故という最悪の状況ながら悪いことばかりでもなかった気がする。
電車の中で待つことができた事もそうだけど、すぐ近くに可愛らしい子供がいたから随分と癒されていた。
更に電車が走り始めてからは俺を壁だと思ったのか寄り掛かってきて、何やら頼りにされている感じで悪い気はしなかった。

何より単純に子供好きの性分が出て、休日出勤だとか何とかのストレスを忘れられる貴重な時間となっていた。
特に、その子供が降りる駅へ着く少し前に「おじちゃん、ゲームをしてると降りるのわすれちゃうよ」とか声を掛けてきた時は随分と久しぶりに笑った気がした。
残念ながら俺が下車する駅はずっと先にだったからお別れをしたけれど、同じ駅で乗り換えていたら懐かれていた事だろう。

今にして思えば、あの時間で少しだけ気分をリフレッシュできたから発狂することもなく最後までやり遂げられたのかも知れない。

自己主張 なければないで 不安だな2009年01月16日 20時33分19秒

このところ自宅へ帰っても殆どテレビを見ていないのだが、今年の成人式は大きなトラブルとか報道された気配がない。
俺が成人式を迎えた数年前は暴動と表現すべき馬鹿騒ぎが起きて、警察が出動して逮捕者が出たという報道もあった。
それと石原東京都知事の祝辞を妨害した事について、わざわざ謝罪しに都庁へ出向いた阿呆がいたりと酷い物だった。

今にして思うと、あの時代は10代後半から20代前半の自己主張が極端すぎるほどに激しかった気がする。
無駄に日焼けを重ねたガングロや山姥ギャルが暴走の末に行き着いた最終形態で、その後は徐々に落ち着いていった。
あの奇っ怪なファッションが何を意味するのか今も当時も理解できないけれど、あそこまで自己犠牲の上に成り立つ自己表現は後にも先にもない気がする。
そういう意味で見てみれば方向性こそ間違っているけど、あのファッションを考案した人物は今頃に何らしかの成功を収めていそうな気がする。

色々と騒がしかった時代から時間が流れて、最近では問題となるような若者の話がニュースに登場してこなくなった。
何処かのコメンテーターが若くしてスポーツ界で活躍する選手が次々と現れたことで、彼等の同年代が良い刺激を受けているためだと言っていた。
確かにそういう面は有りそうな気がするけれど、俺はそれだけの理由で有り余るエネルギーの矛先を正せるとは思えない。
そのため落ち着きすぎている最近の若者が何を考えているのか分からず、言いしれぬ不安や不気味さを感じてしまう。

先日に学校の制服に似せた服が流行っているとか聞いた時も、自己主張より集団へ紛れる事を良しとしているように思えた。
粋すぎた自己主張もどうかと思うが、集団に流されるままという傾向は間違った方向へ向かい始めた時の影響力が大きくなるから良くない。
考える事を放棄するような体質が染み着かないと良いのだが、この不景気だと仕方がないような気もする。

疲れ果て 半日近く 眠ってた2009年01月17日 21時38分10秒

正月休みが終わってから連休も休みなしに働き続けて、今日が 2週間ぶりの休日となっていた。
週の後半から少しずつ体調不良が目立ち始めて、日中でも睡魔が襲ってくるような場面が増えてきていた。
症状は悪化の一途を辿っていて、金曜の夕方から風邪という形で具体的な症状を表し始めていた。

そんな調子で向けた土曜日の今日は通院の予定もなく、予定と言えば毎週恒例となっているToda氏と昼食を一緒にする約束くらいだ。
時間があれば体が鈍っているので暖かければ軽くサイクリングへ出掛けてみようかと思っていたが、基本的に休養を優先するつもりではいた。

とりあえずアラームを11時半頃にセットしてから眠いと目を擦りながら布団へ入ったのが深夜の 1時半だった。
疲れが溜まっていたこともあって寝付きはすこぶる良くて、気が付いたら外は随分と明るくなっていた。
暖かな日差しに微睡みながらカーテンを開けてみると、何やら違和感を感じて時計を見てみると「14:36」なんて数字が見えたから驚いた。

朝日が西から昇るはずもないのだから日差しに違和感を感じるのも無理はない。
もちろん疲れていたから昼近くまで寝ている可能性は十分に考えられたけれど、12時間以上も寝ているなんて想像もしていなかった。
何より遅くても13時過ぎに昼食の約束をしていたToda氏が「時間を過ぎてるぞ」と電話が掛かってきて叩き起こされるはずだ。
その時間を軽く過ぎてまで寝ているという事は電話まで無視して寝ていたという事になる。

幾ら疲れていたと言っても、俺は旅行とかへ行っても同じ部屋の誰かが夜中にトイレへ起きても、その物音でも目を覚ますような人間だ。
さすがに電話の音を無視して寝ているなんてあるはずがなくて、これはきっと寝坊して大慌てという夢を見ているに違いない。
本気で夢かも知れないと考えたのだが残念ながら、昨夜に携帯電話のバッテリーをゼロクリアして、そのまま電源を入れ忘れた可能性を思い付いてしまった。

慌てて布団から飛び出して、携帯を見てみると思い切り電源が切れていた。
仕方なくToda氏へ詫びの電話を入れたのだけど、昨夜に疲れている旨を伝えていたから事情を察してくれていた。
更に何だかんだと言って、昼食はまだ食べていないとの事だったから遅めの昼食を共にしてきた。

その昼食を食べた店を出てみると、既に日差しは夕日に代わり始めていて本当にあっと言う間に 1日が終わってしまったと感じられた。
実際問題として起床から 2時間で夕方を迎えているのだから当然の感想なんだけど、何とも言えない空しさを感じさせる夕焼けだった。

夏の暑さより冬の寒さの方が得意な人間だけど、やっぱり冬の日の短さは夜盲症の人間にとって、どうしようもなく残念な仕様だ。
ある程度まで日が長くなっていて暑くなる前の春くらいが俺にとって最も過ごしやすい季節な気がする。
残念ながら人生の春は依然と来ないままだけどな・・・

一人だけ 自由気ままに 過ごした日2009年01月18日 21時18分53秒

昨日、父方の親戚に不幸があったとの連絡があった。
亡くなったのは祖父のご兄弟と少し遠い親戚だった事もあり、俺は葬式へ参列せず自宅で留守番をする事になった。
もう一人の家族である姉貴は週末に家へ居ることが少なくて、今週も何処かへ出掛けるとの話を聞いていた。
つまり、今日は自宅の自分しか居ないという開放感たっぷりの日曜となったわけだ。

事の発端が親戚の不幸だから諸手を挙げて喜ぶべき状況ではないのだけど、家中が自分の自由にできる空間となった事に興奮を隠せない。
誰に憚られるわけでもないからそれこそ真っ裸で家中を歩き回ったりもできる。
さすがに真っ裸で歩き回るまではしないけれど、自分の好きな時に好きな事をできるというのは嬉しいことだ。

平日に有給休暇を取っても父親が定年退職して在宅していることが多くて、自宅に自分一人という状況は本当に久しぶりだ。
更に俺の父親は無闇に世話を焼こうとする習性があって、俺が休暇をとったりすると頼んでいないのに自分の予定を変更して昼飯の用意をしたりする。
それもこちらの予定を聞きもせずにやるから、出掛けて昼食を食べてから帰ってくると、俺の席に昼食が置いてあるなんて事も多々あった。

そんな事を数十回と繰り返して、最近は少し落ち着いてきている。
しかし、俺の中にはトラウマのように嫌な印象が染みついてしまっているから、休日に父親と顔を合わせるのが苦痛だったりする。
元よりゆっくりしたい時は一人が一番という人間だから、本当に疲れている時は人の気配がするだけでも嫌悪感を感じる事まである始末だ。

今日なんかは正しく疲れていてゆっくりと休みたい日だったから、心から落ち着ける空間に心の底から癒された気分だ。
実際のところ自室でゲームをやったりコミックを読んだりと普段と何ら変わらない引き籠もり生活だったのだが通常よりもずっとリラックスできていた。
自宅を自由に使える特典を利用しない手はないので 2回ほど入浴したりはしたけれど、基本的はいつも通りのだった。
それでも日が沈むまでの時間が長く感じられたし、精神的な印象は随分と違ったようだ。

やはり一人というのはリラックスできて良い物だと思う。
親戚連中から「彼女を作らないのか」とか言われるけれど、やはり自由な時間が減りそうな気がして乗り気にはなれない。
作ろうと思ってもできると思えないけれど、自分から積極的に求めていこうという気分じゃない。
もしも一緒にいてもリラックスできるような人がいるなら考えるけれど、たぶん人間嫌いな俺から警戒心を完全に取り除ける人はいないだろう。

そんな事を再認識した今日この頃でした。

受験生 余裕をもって 頑張れよ2009年01月19日 20時32分31秒

先週の修羅場に比べて、今日の車内は随分と和やかで冗談を言い合ったりする時間もあった。
所々に面倒くさい作業が混じってきても小言を漏らしながらやっていると気持ちが楽になって、口で言っているほどの苦痛に感じなかった。
これでこそ大学の同窓生という関係で構成された会社の良いところだ。

俺個人としても日曜に開放的な時間を過ごせた事から精神的な余裕があって、普段はあまり付き合わない戯れ言に口を出してみたりした。
快調だったのは口だけではなくて途中に躓きそうな場面は何度かあったけれど、順調に手を動かし続けることができた。
残念といえば、昼食後の昼休みを睡魔に襲われてしまって仮眠に費やしてしまったことくらいだ。

今日は車内に余裕という言葉を取り戻した感じの一日だったのだが、世間に顔を向けてみると大学入試とかアメリカ大統領の就任式なんて単語が聞こえてくる。
大学入試の方は「受験生に落ちるとか滑るなんて言ってはいけない」なんて話からネタを拾ったりして何度か話題に上っていた。

受験生に「落ちる」「滑る」は確かに縁起の悪い単語かも知れない。
だれど、そんな言葉が気になるほど余裕を失っている状態へ陥っている人がいたら、落ち着かせてやらないと本気で失敗すると思う。
それこそ受験生本人が「受験生に向かって何を言いやがる」とツッコミを返せる程度の精神状態を保ってやるべきだ。
周囲が「アレを言っちゃいけない」とか気を遣ってしまうと、逆に雰囲気が悪くなったりプレッシャーを与える可能性だってある。

俺はどちらかというと気を遣われるのが嫌いだったから自分で滑ったとか落としたとか言っていた。
そんな態度で居られたのは合格する自信があったからじゃないのか、と思われるかも知れないが俺の見積もりで勝率は 5割程度だった。
余裕なんて無かったけれど、焦ったら悔やんだりしたところで点数が良くなるわけでもない。
ならば、磁針がある振りをして自己暗示でも掛けていた方がマシだと考えていた。

本当のところをいうと、受験シーズン目前に父親が会社の伝手で受験に失敗した場合の受け皿を用意してあるとか言ってきた事に対する反発が何よりの力となっていた。
父親は心配しての行動なのだろうが、俺から見れば失敗すると決めつけられている気がして酷く腹が立った。
俺が受験に失敗したとしても父親の用意した受け皿へ収まるような人間でないと理解していない事が何よりも悔しかった。

こういう怒りさえも勉強する力に変えられたから今があるわけなのだが、今の俺はそれほどの精神力を持っているだろうか。