自己主張 なければないで 不安だな2009年01月16日 20時33分19秒

このところ自宅へ帰っても殆どテレビを見ていないのだが、今年の成人式は大きなトラブルとか報道された気配がない。
俺が成人式を迎えた数年前は暴動と表現すべき馬鹿騒ぎが起きて、警察が出動して逮捕者が出たという報道もあった。
それと石原東京都知事の祝辞を妨害した事について、わざわざ謝罪しに都庁へ出向いた阿呆がいたりと酷い物だった。

今にして思うと、あの時代は10代後半から20代前半の自己主張が極端すぎるほどに激しかった気がする。
無駄に日焼けを重ねたガングロや山姥ギャルが暴走の末に行き着いた最終形態で、その後は徐々に落ち着いていった。
あの奇っ怪なファッションが何を意味するのか今も当時も理解できないけれど、あそこまで自己犠牲の上に成り立つ自己表現は後にも先にもない気がする。
そういう意味で見てみれば方向性こそ間違っているけど、あのファッションを考案した人物は今頃に何らしかの成功を収めていそうな気がする。

色々と騒がしかった時代から時間が流れて、最近では問題となるような若者の話がニュースに登場してこなくなった。
何処かのコメンテーターが若くしてスポーツ界で活躍する選手が次々と現れたことで、彼等の同年代が良い刺激を受けているためだと言っていた。
確かにそういう面は有りそうな気がするけれど、俺はそれだけの理由で有り余るエネルギーの矛先を正せるとは思えない。
そのため落ち着きすぎている最近の若者が何を考えているのか分からず、言いしれぬ不安や不気味さを感じてしまう。

先日に学校の制服に似せた服が流行っているとか聞いた時も、自己主張より集団へ紛れる事を良しとしているように思えた。
粋すぎた自己主張もどうかと思うが、集団に流されるままという傾向は間違った方向へ向かい始めた時の影響力が大きくなるから良くない。
考える事を放棄するような体質が染み着かないと良いのだが、この不景気だと仕方がないような気もする。