挨拶を 交わした後の 暗い闇2009年01月20日 21時03分41秒

俺の頭の中には夜盲症が発動した状態で夜道をあるくためのスイッチが存在して、視覚や聴覚の使い方や集中力の傾け方を切り替えている。
基本的にスイッチの制御は無意識下で行われていて、玄関を出たり電車から降りると言った行動がキッカケに切り替わって、数十秒後に闇の中を歩くための準備が整う。

平常時と何が違うのかと言葉にするのは少し難しいのだけど、耳に入ってきた音が何処から聞こえて、何の音なのかを細かく解析するようになる。
他にも足音から大雑把な人数を割り出していたり、視線が路面よりも街頭や窓から漏れる明かりを指標として探すようになる。
何よりの平常時と違う事は人を含めた殆どの存在を障害物と認識して、何かとコミュニケーションを取ろうという意識が皆無となる。

今日もそんな精神状態へ移行するスイッチは正常に機能していたのだけど、会社を出て 50mほど歩いた地点で「こんばんわ」と連呼する物体に遭遇した。
同じ単語を耳にすること 3回目で初めて自分と声の主しか人が周囲に存在しない事を理解した。
そして、擦れ違った地点で聞こえた挨拶が自分へ向けられているのではないかと疑い始めた。

その状態から一気にコミュニケーションの無効状態を解除して、ヤミに染まって全く用紙を確認できない声の主の識別を始めた。
そもそもに地元ではないから俺にしつこく声を掛けてくるような人物は数が限られており、最初にG社長のお母さんの可能性を考えた。
けれど、言葉の訛りがない事から否定されたのだが次の可能性が出てこないまま完全に通り過ぎてしまった。
声の主は俺と擦れ違った地点で足並みを変えた事が足音から分かって、間違えなく 4度目を数える「こんばんわ」は俺に向けられている事が明らかになった。

停止状態のコミュニケーション能力をフル稼働させながら振り返ってみると、問題の人物が街頭の下へ入っていて体型という情報が加わった。
そこから一気に記憶が巡って 5回目の挨拶と「分かる?」という心配そうな言葉を聞いたところでやっと該当する人物を見つけることができた。
その声は自前で弁当を用意する以前に通っていた弁当屋さんだった。
久しく出向いていないので記憶の隅っこに埋もれていた上に、コミュニケーションを考えないモードだったから随分と時間が掛かってしまった。

どうにか 6回目の「こんばんわ」を聞く前にこちらからの挨拶を返すことができたけれど、我ながら失礼なことをしてしまったものだ。
確か夜盲症の事は話した覚えがあるから察してくれていると思うが、あまり良い気分ではない。

それよりも問題なのは弁当屋さんと分かれた直後、目の前に広がっていた光景だ。
もちろん先ほどと同じヤミの世界なのだけど、スイッチが切れているとまるで違った景色に見えてくる。
そのギャップは凄まじくて一瞬にして脂汗が吹き出してくるほどの緊張感に襲われて、思わず立ちすくんでしまいそうだった。

そんな状態は会社から最寄り駅まで行程の 3分の 2も続いてくれて、酷く気持ちの悪い汗を感じながらの帰宅となった。
正直なところ、これ程までにスイッチの切り替えが上手く行かないとは思っても見なかった。
元より集中力が一度でも切れてしまうと復旧に時間が掛かったけれど、ここまで酷いとは思っていなかった。

今後は気を付けようと思う反面、スイッチを切らないという事は挨拶を無視する事を意味するわけでどうしたものかという新しい悩みが出てくる。

また一つ 緑が消えた 寂しいな2009年01月21日 19時14分35秒

今朝も普段と何らか割らない通勤風景が広がっているはずだったのだが、自宅を出てから200mほど走った辺りで目を疑うような光景が広がっていた。
昨日まで林が存在していた場所が只の土塊の山と化していて、そこに生えていた木々は痕跡も残さず処分されていた。
あまりの変わりように唖然としているのは俺ばかりでなく、擦れ違う人は例外なく土の山を見つめながら歩いていた。

そこにあった林は広さが幅30m 奥行き100mくらいで自宅から近いこともあって、子供の頃に最も長く遊んだ場所だった。
最初の伐採は俺が小学生の頃で通学路となっていた川沿いの道を広げる目的で林が 3mほど削られた、
それから15年ほど前に 2度目の伐採が行われて、元々の広さから 1/3くらいを残して林が更地へと変えられてしまう。

林が削ってまで作った駐車場は利用率が 1割にも満たない状態で長らく放置された形となる。
その間に地域住民は「あんな遣われない従者上にするなら、林のままの方が子供の遊び場になって良かった」と言われることになる。
現在では役立たずだった駐車場の半分が買い取られて、コンビニができたため昔の林へ戻そうという話は聞こえなくなっている。
なにせ俺の近所で唯一の坂を上らずに行ける店だから利用者は絶えず、なかなかの繁盛ぷりを見せている。

コンビニとなった部分と対照的に、駐車場として残っている部分は相変わらず利用率が悪くて 1台の車もいない日だったあった。
その状態は10年近く続いて、去年の待つから駐車場ではなく住宅地として新しく整備され直すことになった。
そんな工事が始まって 1軒目の住宅が完成系が見えてきた今日この頃、さらなる住宅用地を確保するためか林が削られた。

事前に何も聞かされていなかった影響もあるが、小さくなっても数十本の木々が生い茂っていたはずの林が一日で消えてしまった事に驚いた。
それこそ残りわずか林の面影を消されることに反対する住民が出る前に処分してしまったのではないかと疑ってしまうほどのスピードだった。
あまりの急激な変わりように何かタイムスリップでもしてしまったような驚きを感じてしまう。
それと同時に昔の面影が消えてしまった事に対する悲しさもあって、何となくあの場所に建つであろう住宅へ越してくる人と仲良くできない気がする。

地球温暖化の問題が叫ばれる昨今において、平気で林を切り倒す神経に少し疑問を感じる。
緑が多いことを売りにしている市だったはずなのに、見渡してみれば昔より緑の色が減ってしまっている事に寂しさを感じる。

責任は 自由を遊ぶ 隠し味2009年01月22日 20時23分23秒

今朝も寝汗が酷かった事から予想はしていたけれど、今日も仕事中に体調を崩して意識を保っていられない時間が何度か在った。
昨日のように背筋を絶えることなく走り続ける寒気から意識があっても集中できない、という状態へ陥ることこそなかったが唐突に悪寒が走る場面はあった。
症状が急激な悪化を見せたことからインフルエンザも疑ったのだけど、朝の時点でさらなる悪化を見せていなかったので恐らく質の悪い風邪だろう。

そんな体調不調の中でも時間は進んでしまうわけで、今日から新しい案件へ手を出すことになった。
今回は Flashから離れて PHPと MySQLを使った Webサイトの作成業務で外観のHTMLはG社長が担当して、俺の担当はシステム部分となっている。

いきなり英字が増えたから「何のことやら?」と首を傾げる方も多いと思うけど、俺としては目新しい単語は一つもなかったりする。
唯一の不安要因は MySQLというデータベース管理システムで、名前こそ知っているが実際に触ったことはない。
別のデータベース管理システムなら前の会社で嫌と言うほど触っていたから基本的には問題ないはずだ。

不安というのはデータベース関係はシステム毎に癖が大きくて、それらを把握するまでの混乱が何時まで続くかという点だ。
実は今日の時点で既に 1つ目の躓きを経験しており、体調不良で乱れる頭を精一杯に使って 1時間以上も悩み続けてしまった。
悩んでいた現象は47件のデータをデータベースへ登録するコマンドを実行する際に、何故か最後の 1件しか実行されないという内容だった。

帰り際にG社長から教えてもらった所によると、俺がコマンドを実行させようとしていた画面は 1つのコマンドを実行して結果を表示させる為の画面であって複数の処理を一気に処理する画面は別にあるとの事だ。
要するに使っていた画面が違うという話なのだが、俺には単発と複数で画面が違うなんて知る由もなかったから目から鱗が落ちる心持ちだった。
言われてみれば確かに有り得る話で納得もしているけれど、できる事ならコマンドが実行されなかった旨を報告するくらいして欲しかった。

今回の案件もゼロからの作成と言うこともあって苦労はするだろうけど、開発者としては楽しみでもあったりする。
前の会社は既存のシステムを修正する作業ばかりで、自分が作り上げている感触は皆無だった。
極希に新規作成する画面を丸ごと任された事があったけれど、画面 200ページ以上もある中の 3枚を作ったところで達成感なんてあるはずがない。
何より他のが面との連携があるため色々と縛られてしまい、時に「これは上手くない」と感じる手法へ従わざる終えない場面も多々あった。

それに対して、今回はデータベースの構造から自分で作れるという開放的な開発に少し浮かれ気味となっている。
もちろん自由度が高さに比例して責任が重くなる事は理解しているが、それ以上に責任があるからこそ感じられる達成感への期待の方が強いらしい。
色々と不安があったり精神的に不安定な状態へ追い込まれる場面も多いけれど、開発者としての楽しみを見いだせる今の会社は嫌いじゃない。

仮眠さえ 効果を成さぬ 絶不調2009年01月23日 20時44分49秒

今日は午後から体調が悪化の兆しを見せてたため、軽く仮眠を取ったのだが何故か逆効果だったらしく起き上がると頭がクラクラとする状態になっていた。
それでも作業があるので仕事へ戻ろうと頑張ってみたのだけど、何もかもが上手く行かなくて仕方がないので更に30分ほど仮眠を取ることにした。

この 2度目の仮眠を決意するまでのボケっぷりは我ながら相当に良くない状態などと痛感させられる程に酷い有様だった。
例えば、ガムを噛んで眠気を払おうとした時なんか酷い有様で、ガムを取り出すのに苦労した上にやっと出てきた 1粒が手から滑り落ちてしまった。
そのままノンストップで床まで落ちてしまったので諦めてもう 1粒を取り出したのだけど、これも全く同じ末路を辿ってしまう。

どうやら本人が自覚しているよりも指先へのダメージが大きいらしく良く診てみると少し震えていて、明らかに細かい作業ができる状態ではなかった。
仕方がないのでケースを傾けてガムを取り出す事で無事に取り出すことはできてホッとしたのも束の間、マスクをしている事を忘れて口へ運んでしまう大失態を犯してしまった。
最悪な事に 2回連続でガムを落としていたからT社員がこちらを見ていて、マスクをしたままガムを口へ運んでいる様をもろに見られてしまった。

そんな調子で真っ当に仕事ができるはずもなくて 1時間ほど粘った挙げ句に先述の通り追加で30分ほど仮眠することにしたわけだ。
本来なら仮眠だから深く眠るつもりは無かったのだけど、何故か夢らしきを残映を見えるところまで落ちてしまった
ちなみに夢の内容は卵を食べようとしているのだけど、できてた中身がグロい状態になっているという軽いホラー要素が入っていた。

そんな寝覚めの悪い夢から覚めると、マスクをしているにも関わらずのどが酷く渇いている事実に気が付いた。
もしかしたら風邪がぶり返してきた事に加えて、水分不足による脱水症状が重なっているのではないかと予測された。
嫌な予感がするのでコンビニまで歩いていって、栄養不足も考慮して野菜ジュースを買ってきてみた。

買ってきた野菜ジュースをゆっくりと飲みながら作業をしていると 1時間ほどすると体調が好転してきた。
エンジンが掛かるのが遅すぎた印象は拭い切れないけれど、最低目標としていた部分へ辿り着けたから今は満足している。

ひとまず今日は何かと運の悪い事が続いているので油断はしない方がよいかも知れない。
正直なところ帰り道で事故へ遭ってもおかしくない、と本気で思うほど今日は不幸な日だ。

休日を 休日らしく 過ごせたら2009年01月24日 22時13分38秒

今週は寝坊する事もなく起きることができた上に、それ程に冷え込んでもいなかったから午前中はゆったりと過ごす事ができた。
体調不良の方も昨日が山場だったらしく頭痛や咳といった質の悪い症状は治まって、代わりに腹の調子が良くないけれど急激に下るような壊れ方ではなかった。

今週も近くに住んでいる同窓生Toda氏と昼を共にする約束をしていたから家を出た瞬間、あまりに風が冷たくて驚かされた。
昨日までの寒さは身に染みる感じだったのに対し、今日の冷気は肌に突き刺さるような鋭さを持っていて、雪国へ来てしまった気分だった。
そういった冷たい風も基本的に耐えられる人間なのだけど、不意打ちを食らったとなると少し辛かった。
しかも、家を出た時間は寒空の下で待たされるのも嫌だからと思ってギリギリの調整していたから、冷たい風に全力疾走でぶつかって行く羽目となった。

幸いにして今日の気温はいうほど低くなくて、風にさえ当たらなければ寒さを凌げた事だろう。
もし気温まで風と同じ冷たさを持っていたら、体調不良がぶり返してしまう危険性から予定をキャンセルせざる終えなかったはずだ。
そう思ってみれば、寒さの原因が風だけだったのは不幸中の幸いというものかも知れない。

風さえなければ寒さに厳しさはないため、屋内にいると穏やかな休日に感じられた。
実際にToda氏と合流して店内へ入ってしまうと寒さを忘れて、まったりとして休日の昼を満喫していた。
しかも、暖かな陽気を連想させる薄日が時折に窓から差してくる場面もあって、本当に道中の寒さを忘れてしまっていた。

そんな油断だらけの状態で店を出てしまったから、再び風の冷たさに驚かされる羽目となってしまう。
しかも、今度はパラパラと顔に当たる細かい雪まで混じっていたからToda氏と一緒に「雪が降るとは聞いていない」と当てにならない天気予報に怒りを覚えていた。
家を出た当初に「雪国のような冷たい風」だと感じたのは間違えではなかったらしい。

雪がぱらついたのは数分だけで積もるような事はなかったから、そのまま勢いに任せて買い物へも行ってきた。
明日ももし同じような天気だったら家から出るのが辛くなるから、外へ出てしまっている今日に済ませてしまおうと思ってのことだ。
ここ数日、体調不良に加えて運の無さも通常の 2倍以上に強烈だから、先延ばしにすると雪が積もって交通機関が麻痺するなんて事態も考えられた。

そんなこんなで池袋まで出向いて目的の品を買ってきたのだけど、思ったよりも嵩張らないパッケージで平日に来てもよかった感じだった。
何というか無理に休日を使って買わなくても良かったかな~っと残念な気分を味わいつつの帰り道、空が少し暗くなり始めていた。
昼食を食べた後に電車で往復の買い物をしたら、すぐに夕暮れという日の短さへの空しさも重なって、久しぶりに黄昏れた気分になってしまった。

今日は驚いたり、まったりしたり、黄昏れたりと忙しい一日だった。

散歩して 寂しさばかり 目に付いた2009年01月25日 19時03分08秒

今日は自宅で色々とやっていて、気が付いたら夕暮れ間近の16時になっていた。
体調が万全でないからゆっくりしているのも悪くないと思ったのだけど、自室に籠もっていたせいか少し身体が凝り固まってしまっていた。
そんなわけで少し体を動かそうと考えて、久しぶりにサイクリングではなく散歩へ出掛けてくることにした。

サイクリングの方が行動範囲が広くて良いのだけど、日の短い時期だと遠出し過ぎた時に困ってしまうのが難点だ。
今日のように出掛けようと考え始める時間が遅かったりすると、時間的制約により行動範囲が制限されてメリットが消えてしまう。
逆に徒歩であれば日が暮れた後でも集中力を要するけれど帰ってくることができる。
それに自転車で走り回るのと違った視点から見て回ると、何か新しい景色が見えてきそうな気がした。

先日の記事で話題にした 1日で切り倒されてしまった林の跡地をじっくりと見ておきたいと思って足を向けてみた。
さすがに土の山まですぐに撤去する事は叶わなかったらしく、未だに木々が切られて裸になった状態で放置されている。
山の頂上にショベルカーが鎮座している辺りから察するに、林だった場所を削って住宅用地として活用するつもりなのだろう。

林を削って平地にする労力を掛けるほど住宅地に向いているとは思わないのだけど、今更に木々を植え直すなんて不可能だろう。
歩きながら見て回っていると分かるが、土が酷く脆くなっていて植林をしても根が張る前に崩れそうな雰囲気がある。
というか、ここ数日でも崩れかけている場所があるくらいで大雨が降った後なんかに道が塞がっているのではないかと不安を感じる有様だ。

しかし、小さいながらも林があるのとないのでは随分と風景が違って見えるものだ。
見晴らしが良くなったとも言えなくもないが、向こうに見えるものが何もないために寂しいという印象しかない。
そんな林での印象が尾を引いているのか、既に潰れたと知っている店舗の脇を通ったりすると「不景気」という単語と同時に空しさを感じた。

それに引き替え交通量は増える一方らしくバス通りへ続く坂を登り切ると、一気に空気が悪くなるのが分かった。
自宅を出た時は冬らしい鋭さを持った冷たい風があったのだけど、坂の上は冷たさを残っていたけど鋭さが感じられなくなっていた。
恐らくは淀んでいる重たくべっとりとした感触の方が強い影響なのだろう。

鋭さを持った冷気はあまり嬉しい感覚ではないけれど、排気ガスで淀んだ空気を吸うよりマシだ。
こうやって改めて確認させられると、明日からの通勤ルートを遠回りな坂の下コースへ変更しようかと思ってしまう。

久々の夢は美味しくない2009年01月26日 06時45分32秒

今朝は少し首周りに凝りを感じる以外に問題点が無さそうな目覚めとなっている。
強いて言うなら久々に見た夢の内容が影響していたらしく空腹感を覚えていたくらいだろうか。

夢の内容は知人を自宅へ案内している所から始まって、家へ着いてみると何故か親戚の子供等が走り回っていた。
何事かと思う間もなく子守りモードへ突入して、リビングへ引っ張って行かれてしまう。
リビングでは昨夜に用意して冷蔵庫へ入っているはずの弁当がテーブルの上にあって、何故か蓋が閉まらないオカズが山盛りになっている。

頭の上に特大のクエスチョンマークが浮かんだ直後に犯人が父親だという自白が耳に届いて「勝手に触るな」と怒鳴る羽目となる。
そのまま話の方向は大学へ通学するために家を出なければならない時間という話になっていくのだけど、俺は弁当を作るのに必死だった。
父親が勝手な事をしたおかげで左右のオカズから大量の汁が溢れて混ざり合って、酷い状態となっていたのが主な原因だ。
必死に汁抜きをするのだけど、汁を捨てると 1/3にまで縮んでくれる怪現象に見舞われて右往左往とする。

それを 4回ほど繰り返して、苛々が頂点に達したところで目が覚めた、というのが今日の朝だ。

最近は 坊主までもが マナー違反2009年01月26日 19時58分43秒

俺が通勤で使っている電車の路線は 2つあって、片方はマナーの悪い乗客が多くて雰囲気がすごく悪い。
もう片方の路線が良いだけに治安の悪さが強調されて見えている面はあるだろうと思っていた。
しかし、その考えも改めた方が良さそうだと感じさせられる事件が今朝の通勤途中に起きててしまった。

俺は基本的に箱物の乗り物は全般に酔ってしまうため、基本的に座席を使わないようにしている。
今日も目の前に 2人分のスペースが空いていたのだが座らず、空席の間近に立っていた。
その座席へ座ったのは少し太り気味の坊さんなのに、さも当然といった顔をして空きスペースの中央へ腰を下ろしてしまった。
マナーの悪い坊主だと嫌悪感は感じたけれど周囲に座席を必要とする人が見当たらなかったし、俺が座るわけでもないので注意はせずに放置した。
とはいえ嫌悪感は拭い切れなかったらしく携帯電話を弄くる姿さえもふてぶてしく見えてしまった。

もちろん坊さんだからと言って人として完成されているとは限らない。
周囲のマナーの悪さに障られて、マナー違反に罪悪感を感じる神経が麻痺してしまうことは遭っても仕方がないかも知れない。
しかし、やはり坊主の格好をしているのなら相応の態度を心掛けるべきだと思うのは俺だけだろうか。
そんな疑問がグルグルと頭の中を回っている間に次の停車駅へ着いて、続々と新しい乗客が乗り込んできた。

新しい乗客の 1人に腰の曲がった婆さんが混じっていて、俺の脇にある若干の空きスペースを見つけて近付いてきた。
そして、座席を詰めてもらえるように「すみません」と声を掛けながら小さく頭を下げ始めたのだが、前の駅から 2人分のスペースを占有している坊主は動こうとしなかった。
老婆のゆっくりとしたお辞儀が 3回目を数えた頃になって、ようやっと坊主の重たい腰が動いたのだけど謝罪の言葉さえは一切なかった。

ここまで腐りきった坊主がいるという現実を見せつけられて、朝から何とも言えない嫌な気分になってしまった。
坊主と言えど結局は人間縄家で、ダメな環境へ置いておけば簡単に腐ってしまうと言うことか。
とりあえず、あんな坊主に念仏をあげられる人がいると思うと可哀想だと思ってしまう。

文字さえも 読めないほどに 不調です2009年01月27日 19時34分12秒

今日の午前中は鼻腔が乾く感触があってマスクで湿度を保つ必要があったていどで体調は悪くなかった。
ところが午後から一気に体調が悪化してくれて、風邪の諸症状がフル稼働してくれて強烈な眠気に仕事ができない状態となってしまった。

恐らくの感染源は昨日に帰り道の電車でマスクもせず、口元をハンカチや両手で覆うこともなしに咳をしていた乗客だろう。
乗換駅を電車が出てから 2駅目で問題の乗客が隣へ来た時点で嫌な予感がしていたから、グロッキーになっても驚きはしなかった。
むしろ「やっぱりか」と溜め息を吐きたい気分の方が強かったくらいだ。
このところインフルエンザが院内感染して死傷者まで出ているというのに、そ気な顔をして咳を続ける神経が理解できない。
マスクが息苦しいとかいうのであれば、せめてハンカチで口元を覆うくらいのとをして欲しいと思う。

そんなわけで今も意識が朦朧していて、ネタを探す事はおろか記事を入力するだけで精一杯といった状態だ。
揺れる電車の中でキーボードで記事を入力しているのだけど、ほんの一瞬でも瞼を閉じると意識が薄れて数分という時間が経過していた。
何とか意識を浮上させて再び入力作業へ戻るのだけど、両手に支えられたわずか20cm先の携帯電話のディスプレイへ焦点を合わせるのに一苦労させられる。
やっと見えたと思っても今度は文字を認識でない状態がやってきて、言語能力が機能するまで数秒が必要だった。
その癖に指だけは勝手に動いて記事の入力を続けていると言うから面白いものだ。

文字が読めないとか色々と不思議な感覚を味わいつつ、今の時点での不安は自転車を走らせている最中に意識が飛んだりしないかという一点だだ。
あながち冗談で終わりそうにないというから本当に恐ろしい。

順番が ズレて生まれた この不況2009年01月28日 22時13分17秒

この不景気の中にあって早急なる経済対策が求められているにも関わらず、国会では効果さえも疑われる定額給付金が審議されている。
その一方で一部の地方自治体では限られた予算の中で独自の経済対策を打ち出し、実行に移している所があるという報道を耳にした。
地方よりも敏感に情勢を感じ取って制作を打ち出すべき国が遅れている姿には「順番が違うだろう」と呆れてしまって溜め息しか出てこない。

考えてみると「順番が違う」と言いたくなる事が実に多くて、そういった過ちが積み重なって今の不景気を生んでいるような気がしてきた。
例えば、派遣社員の解雇だけでは飽きたらず、正規社員にまで希望退職者を募るなどの大規模な人員削減の手を伸ばしている大手企業があるが、その多くが株主への配当金をしっかりと確保しているという話が聞こえてきた。
これが本当だとすれば、本来なら「事業で得た利益の一部を出資比率に応じて配当という形で株主に分配する」という本質を違える事になると考えるのは俺だけだろうか。

社員が路頭に迷うこともいとわずに派遣切りを断行しておいて、株主への配当は守るという姿勢はどうにも気に食わない。
株主の方が社員よりも大切だと言っている行為が腹立たしく思うだけでなく、現代の株主は少しでも景気が悪いと手の平を返してしまう存在だ。
そういう軽い存在が企業を支える土台として頑張っている社員より大切という発想は労働者を馬鹿にしている気がしてならない。

確かに株式は大規模事業の資金調達の手段であるから大切にするのは間違っていない。
だけど、資金だけがあれば事業が動くわけではなくて労働者という下支えがあって初めて安定する。
この労働者について派遣社員という新しい雇用体制ができて簡単に切り捨てられる人材を手にしてしまった事で社員に対する責任感が薄れてしまったのかも知れない。

派遣法を改正する時に契約社員と正規社員の待遇を同等にするとか契約途中での解雇は禁止するといった法整備をすべきだった。
不景気になって始めて問題点が露見したような顔をしているけれど、何時かはこうなると思っていた人は少なくないはずだ。

珍しく難しい事を考えていて頭の中がめちゃくちゃになっているけれど、不景気を機会に会社や労働の在り方を考えてみてはどうだろう。