血縁も 見限る事が ありますぞ?2020年01月02日 23時38分50秒

「良い姉とはどんな存在なのか」という悩みを題材にしたシナリオを読んでいて、妹自慢大会など紆余曲折の末に「妹を嫌う姉は居ない。また姉を嫌う妹も居なくて、あるがままで十分」といった結論へ至っていた。
俺は実姉を疫病神と呼んで嫌っているので、何とも言い難い気分になりながら読んでいたのだけど、自己中心的で非常識な存在である故に続柄が「姉」と記載されるだけの存在としか認識していない。
何よりも「お姉ちゃん」と呼んだ記憶すら持っていなくて、子供の頃から名前呼びをしていて親戚の大人から何か指摘された覚えもある。

件のシナリオで「姉としての立場を失うとはどういう状況なのか」という議題も出ていて、我が家の疫病神は家族から完全に見限られていたので完全なる脱落者だった。
姉という続柄に在れば無条件に好かれて当然のような態度だったため、口喧嘩の中で「お前の何処に好かれる要素があるのか」と指摘した事がある。
夕食を用意している事など誇らしげに言ってきたけれど、実家住まいにおける生活費免除の条件が家事全般だったので、当然の義務ですら言えるのに善意からの行動と言い出した時は呆れたものだ。
しかも、影響バランスなど考えていなくて、疫病神の嫌いな野菜が混じる要理に至っては味見すらしておらず、俺も父親も最終的に食べる事を拒否したほどだ。

俺からしてみれば、姉という関係は幼馴染みと大して変わらない位置づけにあって、好感度というパラメータの初期値が少しばかり高めなだけであり、嫌われる事のない特別な存在と思い上がって許される立場でもない。
その辺を履き違えていたら、我が家の疫病神がそうであるように見限られるので注意すべきだ。