細々と 運気の無さを 疲労する2020年01月03日 22時30分12秒

昨日の深夜と呼ぶべきか今日の早朝と云うべきか、中途半端な時刻に地震警報で叩き起こされた。
然るべき行動へ移るべきだと理解しながらも布団から出る気力が湧かなくて、寝床で丸くなったまま状況の観察を継続していた。
幸いにして何の揺れも被害も出ないまま数分が経過して、震源が遠方にあって余波が到達する可能性を報せる警報だったのだと理解して、そのまま中断していた睡眠へ戻っていった。
この睡眠の中断が随分と堪えたらしくて、起床時刻が遅くならないようにと仕掛けたアラームを無視して、昼近くまで眠りこける結果となった。

中途半端な時刻に起こされるとリズムを大きく掻き乱される印象があって、布団から出た後もスッキリと目覚めていない間隔に取り憑かれていた。
そういったリズムの狂いは冷たい水で顔を洗ったり、朝食を食べたりすると正常化していくのだから不思議なもので、生活に根付いた行動が如何に重要な役割を果たしているのか実感させられた。

しかしながら、朝食の準備中に小麦粉の入った容器を引っ繰り返したりと厄介事が連続してしまい、昨日のブログ記事で良くない存在を持ちだした故の不運でないかとさえ思えた。
事の発端となった容器も置き去りにされたゴミの1つであり、中身を含めて誰も使っていないと聞かされて、それなら内容物だけでも捨てておけば良かったと怒りしか湧いてこなかった。
そして、小型の掃除機を持ち出した片付けようとしたら、これももた誰も使っていないために殆ど吸引力を失っていて、遣ること成すこと何もかも裏目に出ている気分になっていた。

新年早々から見事なまでに運の悪さを披露してくれて、嬉しいやら悲しいやら言葉が出てこない。