服選び 男女で違う 感性が2018年06月25日 23時47分21秒

電車の中で聞こえてきた会話の中に、娘の服選びを父親へ任せると碌な事にならないと小馬鹿にする声が聞こえてきた。
よく言われる事なのだが、美的センスの話でなくて根本的な発想の違いからくるのでないかと考えている。

俺は男性として女性の行う服選びに関して、可愛い人が可愛い服を着る事で可愛さの加算や乗算が発生すると考え、着こなしを鑑定する際にも同様の計算が行われていると理解している。
男性側としては可愛い人に可愛い服装が似合うけれど、可愛くない女性が可愛い服を着ても可愛くならないと見ていて、着る人で総合的な可愛さの上限が変動するけれど越える事はないと見ている印相だ。
重要なのは着る人のステータスであって、何を着ようとも限界を突破して可愛くなる事がないのだから、相応の可愛さを満たした後は実用性の重視へ思考が移ると理解する。

つまり、男性は必要以上に可愛い服装を選ばないのに対して、女性が限界を超えた可愛さを求めて服選びを行うので、男性の選択に物足りなさを覚えるのでなかろうか。
生物としての役割が異なる故の違いなので、どちらか片方へ合わせられる物でもないのだから、衝突するくらいなら最初から分担しておけばよい。
そして、できるだけ早い段階で子供に服を選ばせて、親はその選択を可能な限り否定しないよう努めるべきだ。
そうすれば父親を小馬鹿にする母親の姿が子供に晒される機会が減るし、自己表現の実戦経験を早い段階から行えるようになって一石二鳥だろう。

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