人災と 呼ぶべき過失 次々と2018年06月20日 23時59分03秒

月曜の朝に発生した大阪北部地震では震度6を観測していた割に死者が少なくて、現状では片手で足りる程度と過去の震災で得た教訓が活かされているように思える。
その一方で小学校の外壁が崩れて児童1名が下敷きとなって死亡しており、一報を聞いた時から湧いていた違和感が状況の見えてくるほど増えていき、現状では天才に紛れた人災に思えて仕方ないほど酷い事になっている。

まず犠牲者が1人だけと聞いて、何故に集団登校から外れて一人だけ早く登校しているのか理解できなかった。
どうやら何らかの係りを担っている事から一人だけ早めに登校していたらしいのだが、話を聞く限りでは学校に集団登校の意義を理解している教師が一人も居ない事になる。
朝早くに生徒が一人だけ登校してくるなど、犯罪へ巻き込んでくれと言っているも同然であり、今回に至っては集団登校の列へ加わっていたら被害へ遭わなかった事になる。

後者に関しては偶然による悲劇だけど、亡くなっている事を踏まえると言いたくもなるし、仮に集団登校の最中であれば外壁の異常へ気付いて避難を呼び掛ける誰かがいたかも知れない。
となれば、集団登校をしていたら被害に遭わなかった可能性は偶然の一言で片付けられるほど軽くないように思える。

崩れた外壁は明らかな違法建築となっていて、ブロック塀として許される高さを1m以上も越えており、継ぎ足しているのに接合部の補強がされていなくて、垂直方向に立てるべき控え壁もなかった。
ここまで来ると素人が日曜大工で作ったのでないかと疑うほど粗悪な造りとなっていて、専門家ならずとも強度に不安を感じられたのではなかろうか。

集団東湖の件といい、外壁の粗悪な造りといい、学校側の体制に人災と呼ぶべき大きな過失があったと感じるのと同時に、こういう場面でこそ発揮されるべきPTAの目が全く働いていない事に呆れている。
また東日本大震災の後に耐震補強診断が行われているはずで、その際に指摘されているべき違法建築が放置されていた事になり、あまりに過失と指摘されるべき要素が多すぎて、呆れを通り越して悲しくさえなってくる。