一日に できる事には 限度あり2018年06月13日 23時28分37秒

昨日にアメリカと北朝鮮の史上初となる首相会談が行われて、その場で署名された共同声明に関する話題が多く聞かれた。
日本のメディアは相変わらず呆れるような解釈が目立っていて、ニュース番組に至っては1ヶ月ほど前の特集を忘れるばがりか、時勢を改竄までしていたのでバラエティ番組に成り下がっていた。

アメリカが強行姿勢で向かうと期待していた分を考えれば、物足りなさを確かに感じられるのだけど、最初から北朝鮮の譲歩があった可能性もある。
そもそも1日の会談でどれほどの事を取り決められるのかを考えれば、今後の方向性を定められただけでも成果と呼べる気がする。
核廃棄のプロセスはどちらの方式と言わないまでも、廃棄の方向性を明記されているだけでも上々だと思って良さそうだ。

アメリカが出てきた理由が核の脅威なのだから、それ以外に興味がなかったとしても何ら不思議でない。
それにも関わらす、日本の抱える問題である拉致問題を提起してくれたというのだから、感謝こそしても役立たずと言わんばかりに避難する論調に疑問を覚える。

共同声明の内容が曖昧である事を指して、書かれた内容を守る振りだけすれば済む内容になっていて、何の成果もないと言っている解説者がいた事に驚いた。
振りだけで良いのなら、具体的な手順がが明記されていてもできない事もなく、何よりも過去に北朝鮮がやっている。
つまり、約束事を守れない人間と何を話しても無駄であると言っているわけで、この状況を変える手段は武力衝突しか残らないように思える。

北朝鮮が共同声明を反故にする可能性は否めないけれど、それであるなら守らせるための思索を解説すべきであり、呆れるほど無意味な発言だと呆れていた。
紆余曲折こそあれど、開催されたことを喜ばしく思えないのかと、同じ国籍の人間として恥ずかしくなってくる。