気持ちよく 帰宅したのに どん底へ2010年10月24日 17時43分36秒

今日も母親の七回忌に合わせて親戚が来ることになっており、こっちまで出てきたついでに川越を観光していきたいと言われたので、父親が運転する車に乗り込んで出掛けてきた。
俺は歴史への興味が薄くて、サイクリングへ出掛けても風景を見る方を専門としているため、観光地に疎かったりするので案内としては役に立たないのだが、荷物持ちくらいのつもりで同行していた。

今日の客人は打擲が朝9時と早い予定となっていたので、再び休日にも関わらず眠い目を擦りながら起床する事になって、朝食も随分と慌ただしく済ませる格好となった。
それだけでも1日のスタートとして不満があるのに、朝から疫病神である姉貴が居るリビングの片隅で待機せねばならず、苦痛に充ち満ちた時間を過ごす事になってしまい、起床から僅か1時間で疲れ果てていた。
元々の予定では疫病神は客人を迎えに行って、玄関まで届けた足で遊びに出掛けるはずだったのに、当日になって昼まで在宅するとか言い出したため、リビングで居合わせるという地獄が出来上がってしまった。
疫病神と同じ部屋にいた時間は20分程度なのだが、俺の体感は1時間以上にも感じられて、急激に体力が失われていく様を実感できるほど辛かった。

父親が俺と疫病神が同室に居合わせる状況が良くないと気を遣ってくれて、客人を休ませてから家を出るはずが1時間も早く出発することになった。
墓参りや観光は疫病神が居ないおかげで滞りなく進んでくれたし、無料の駐車場へ入れたり、川越のシンボル「時の鐘」が正午を知らせてなる瞬間に居合わせたりと、運の良い場面が多かった。
家を出る時刻が早かった事に加えて、順調に観光が進んでくれたおかげで、予定していたコースを回り終わってもなお時間が余ってしまい、1時間も早く見送りをする結果になった事が少し残念だった。

客人を新幹線の乗り場まで見送った帰り道は、墓掃除から始まった諸々の庶務による疲労感と、車酔いのダメージで意識が保てない状況での帰宅となった。
そのまま自室へ戻って眠ろうかと思っていると、玄関前にあるはずのない疫病神のスクーターが停まっており、嫌な予感がすると一生見たくもない顔が玄関から現れ、背中を向けて見ないようにしている俺に対して「借りた物をなんだから、ちゃんと戻しておけ」とか言葉を投げ掛けてきた。

どうやら疫病神が車に積み込まれていた大量のクッションを、邪魔だからと下ろしていた事に対する文句なのだろう。
しかし、我が家に「姉貴の車」という物は存在せず、父親の車を勝手に疫病神が私物化しているだけであり、客人を乗せて観光するという状況に対して、邪魔なクッションを片付けておく事こそが正しい。
借りているのは疫病神であって不始末を俺が代行してやったのに、文句を言われたという筋書きこそが正しいにも関わらず、文句を付けてくるとか腹立たしい事この上ない。
蹴り殺してやりたい気分を抑え込むのに必死で言葉が出ず、「てめぇの車じゃないだろう」と吐き捨てるのが精一杯だった。

色々と寺を回って厄払いをしてきたつもりだったのに、最後で全てを台無しにする厄災に見舞われてしまい、今にも発狂してそうな気分だ。