最悪の 夕食済ませ 我が城へ2009年11月21日 20時02分42秒

俺の食事は食べる量がやや多めであるのに加えて、良く嚙んで食べることを心掛けているため、平均で30分くらい掛かるのが常なのだけど、今日の夕食は僅か 5分少々で済ませてきた。
急いで自室へ戻りたい理由があったわけではなく、単純に自己中な姉貴と食事を共にしたくないと強く思っている意識が強すぎて、流し込むように料理を流し込んでいた。
普段なら味を確かめずに喉へ流すような行為は食材に対して失礼だと考えるのでしないのだが、如何せん事に姉貴が存在する状況が既に食事を不味くするので、結局は同じだと自分のストレスを少しでも減る選択をした、

ハイペースで食事を済ませた代償は大きく、特に満腹感が全く得られていない腹 3分目といった状態が良くなくて、飯はまだかと言いたくなるほど不満が残っている。
しかし、猫舌なのに無理をして熱い味噌汁を飲んだ際に負った火傷がちりちりと痛んで、確かに食事をしてきた事実を刻んでいる。
食を満たすことなく、代書ばかり払った史上最低の夕食は何も与えないし、何も得られもせず、後悔ばかりがついて回る。
何故に俺がこんな思いをしなければならないのか、と怒りに拳を握る気力も消え失せた乾いた目で、ディスプレイの向こうで歌うミクの声に癒しを求める寂しい夜が更けていく。

今回の三連休は同人関係の仕事をしたかったので、思い付く限りの用事をまとめて済ませておいて、集中して作業が行える状況を作ろうとして色々と動き回ってきた。
外の用事が終わった後は手洗いが必要な洗濯物が溜まっていたので風呂場へ持ち込んで洗って、ついでに24時間風呂の手入れもやっていたので随分と疲れてしまった。
自室へ戻ってから少し作業は進めたけれど、この時期の風呂掃除は寒さによる体力の消耗が激しくて、すぐに眠気が襲ってきた。

元より今日は作業ができると思っていなかったから良いのだけど、仕事の方が装うよりも面倒な手順を踏まなければならない事情が見えてきたので、あまり余裕があるとは言い難い状況になったので少し惜しい気がする。
今もできることなら作業をしたいのだけど、やはり空腹感が集中力をそぎ落としてくれて、何とも言えない不満が腹の底から沸き上がってくる。
怒りや苛立ちで満腹感が得られたら、どれほどに良かっただろうと思うけれど、残念ながら負の感情は何かを奪いこそすれ与えてくれる物などないと分かり切っている。
分かっていてもそうなってくれないかと願ってしまう心境の中なんだ。

10年の 時を跨いだ 我が資産2009年11月22日 21時47分55秒

今日は特別に出掛ける用事がない、というか昨日の内に済ませてしまったので小食を食べ終えると同時に、同人関係で発生しているプログラミングに着手した。
本当は前回に制作したプログラムの複製を作って、少し手を加えるだけでも良かったのだけど、ベースとなるプログラムは依然として10年掛かりでコツコツと拡張を繰り返してきた代物であるため、気になる点が幾つもある。
気になる点と挙げられる事項の殆どは最新の開発環境へ移行させる事で解決する見込みで、今年の 7月にも古い開発環境からの乗り換え作業を行って、随分と苦労させられた旨を記事にしている。

実は前回に行った開発環境の移行は完璧ではなくて、開発環境が準備している自動変換機能を利用して、古い環境との互換モードへの切り替えただけであって、完全に最新の開発環境へ乗り換えたとは言えなかった。
正確に統計を取ったわけでないけれど、全体の 8割しか移行できていない事が後日になって分かってきて、どうせなら完璧に移行させたいと考えていた。
そんな訳で今回を良い機会として、完全なる移行を目指して作業を始めたのだけど、半日足らずで終わるかと思っていた作業が泡を吹きそうなほど大変な事になってしまった。

結論から言えば、長足を食べ終わった朝 9時から作業を始めて、それから 2時間ほどの休憩を挟んだりしつつ作業を続けて、コンパイルでエラーが検出されないようになったのは日も暮れた19時の事だった。
それこそ会社で仕事をしているのと同じようなペースで仕事をしての 1日掛かり、昨日に考えていた想定の軽く 3番を超える作業量となっていたから驚いた。
もっとも作業を始めて最初のコンパイルで検出されたエラーの数が 4千と信じられない数だったから、その時から背中に冷たい汗が伝っていくのを感じていたから、本音を居れば今日中に終わって良かったとさえ思っている。

しかし、こうやって自分が作り溜めてきたプログラムを見返してみると、我ながら随分と頑張って作ってきた物だと感心してしまう部分が多々ある。
中には今から作れと言われたら「嫌です」と即答するだろう面倒くさい機能を、必死になって組み上げている部分なんかもあって、若かったとはいえ頑張ったものだと感心してしまう。
そうかと思えば、俺が最初に作り始めた頃に存在しなかった機能が実装されていたため、長いコードを書き連ねて完成させたプログラムが数行で片付いてしまったりと、時代の流れを垣間見ながら涙を流す場面もあった。

こうやって改めてプログラムを眺め直して、やはり10年前のプログラムを基板に置いたまま作業を進める事は無理があると強く感じさせられた。
やはり現状にあったプログラムをゼロから作り直さないと、安心する事はできそうになくて、今の時点からスタートを切り直していたら時間が足りないので我慢するとして、機会を見つけてDirectX9への移行をした方が良さそうだ。

気分良く 終わってくれない 月曜日2009年11月23日 21時30分44秒

今日も昨日の引き続いて、朝から同人関係の作業をスタートさせて、日が暮れるまで程良い集中力を保った状態で手を動かし続けていた。
夕方頃から軽い息抜きを兼ねて、土曜に購入リストへ記載し忘れてしまった品を買いへ出掛けた以外は殆どの時間を自室のPCの前で過ごしていた。
作業の方は昨日に行っていた10年前から手入れを続けてきたプログラムを最新の開発環境へ移行作業の続き、大きく修正が入った事でコードが汚くなってしまった部分の調整からスタートした。

細かいテストを重ねながら様子を見ながら、少しずつ調整していけたら良かったのだが、既に完成しているシステムへの手入れであったため、テスト項目に合わせて機能を限定することが難しくかった。
そのため机上での検討と調整を繰り返ていくという面倒で精神的な負担の大きな手法を取らざる終えなくて、知恵熱を出しそうになりながら頑張っていた。
苦労の甲斐はあって、何とか既存のシステム部分は順調に動いてくれているので、ここから先は既に出来上がっているプログラムを組み替えていく作業だから、知恵熱に苦しむような事は殆どはずだ。

できれば、この連休で大概のシステム部分を完成させるだったのに、タイトル画面が表示できるようになった程度で終わってしまったのは残念だけど、大きな山場は超えているので悲観はしてない。
むしろ、土曜の夕方に直面した個数を見ることさえ放棄するほどのエラーの山が築かれた時の絶望感から考えれば、画面が表示できるようになっただけでも奇蹟に思えてしまう。

そんなわけで良い気分で夕食へ向かったのだけど、食卓は見ているだけで唖然としてしまうほど酷くて、まだ出来上がっていないのかと疑ってしまうほどの手抜きが目立つ状況だった。
昨日から持ち越されている作り置きの料理を除いた新しいメニューは切り刻んだ野菜を鍋へ放り込んだだけの水餃子スープ、ホウレン草と人参とシメジを炒めて卵を落とした料理のみだった。
恐らく制作時間は30分にも満たない料理が追加されただけで、夕食というより朝食の食卓で時間を惜しんで食べるような雰囲気だった。
間違っても 1日の疲れを癒しつつ、明日に備える事を目的とした食卓ではなかった。

更に困った事は俺が仕事へ持っていく弁当は夕食から何品かを選んで詰め込んでいるのだけど、今日の食卓を見る限り弁当箱へ入るようなメニューが全く見つからなかった。
リビングへ到着してから唸りながら考えること 3分、弁当に入れる料理を自分で作るしかなさそうだと結論に達して、腹の虫が鳴くのを無視してウィンナーを炒めたりなんだと弁当用の献立を作っていった。
とは言っても、俺に許されている材料は限られているので大した料理は作ることができなかった。
それでも今晩の夕食よりはずっと手間の掛かった料理になっていると自信があって、あんな手抜き料理で「家事をしてやってる」と胸を張る姉貴に何とも言えない悲しさを感じてしまう。

胃袋が 爛れ始めて 痛み出す2009年11月24日 20時29分02秒

今朝から胃袋に痛みが出ていて、空腹時に症状が激しくなる事から察するに、胃潰瘍ではないかと疑っている。
ちょうど先週末から姉貴の愚行が続いていて、ストレスがピークに達しているから、心労により胃潰瘍が発症したとしても何の不思議もなくて、むしろ当然の結果だろうと納得してしまう。

さらに過度のストレスが掛かってきた時によく見られる拒食モードのスイッチも入っているらしく、小食を食べ終わった直後から吐き気を催し始めて辛かった。
昼食の後は吐き気こそなかった代わりに、腹痛や頭痛といった症状が現れたために、仕事の手が止まってしまって四苦八苦とさせられた。
全ての現況が姉貴にある事が分かり切っているだけに、怒りを抑える事ができず新たなストレスを生み出してしまう悪い連鎖にはまってしまって、色々な意味でボロボロになっての帰宅となってしまった。

先日に父親と話をしている時に、姉貴の愚行が仕事のストレスから来る八つ当たりである可能性が濃厚だという結論に達した。
姉貴は金貸しの店で働いているのだが、最近の不景気と元から潰れるのではないかと囁かれていた経営が火の車となっているらしく、先日も帰り支度をしている所に仕事を振られたとか怒り狂っていた。
このオタクの祭典であるコミケの準備で忙しくなり始める時期に、仕事で時間を潰される事への不満も重なって、家族へ対して八つ当たりを始めていると考えてみれば、面白いように辻褄が合ってくる。

姉貴は「大人なのに」や「社会人のくせに」と言った言葉を使うのに、自分は趣味のために家事を放棄して迷惑をかけたり、気に入らない事が多いからと家族へ八つ当たりをしているわけだ。
この調子で行くと、父親も俺も自己中な姉貴から受けるストレスが原因で潰れてしまいそうな不安を感じてしまう。
まして、我が母親はもう 1人の姉貴が作った借金が原因となるトラブルの心労からガンを発症して亡くなっている経緯があるだけに、父親も姉貴の引き起こすトラブルが原因で倒れてしまわないかと心配になってくる。

こうやって振り返ってみると、俺の姉貴は自己中なトラブルメーカーと借金まみれで勘当された馬鹿な姉貴との 2人と、面白いように問題児だらけだ。
俺も人間嫌いだったりするから決して真っ当な人間ではないけれど、姉貴達と比べたら随分と良い方なのではないかと錯覚してしまう。
これが親戚とか少し遠い続柄だったらよかったのに、よりにもよって家族とは何とも運が悪いことで、涙まで出てきてしまいそうだ。

無灯火で 走る恐怖に 身が縮む2009年11月25日 21時56分33秒

昨日の帰り道、いつものように駐輪場から自転車を引っ張り出すと同時にライトを抵当可能な状態へセットして、手押しで転がし始めたのに明かりが灯らなかった。
俺が使っているライトは LED式で手押しの低速でも下手な懐中電灯よりも明るいから、照らしている場所を見失う事はまずあり得ない。
しかも、ハンドルを握る手はタイヤがライトの感天竺を回している感触を捕らえていて、間違えなく発電しているから点灯しないのであれば故障と考えて間違えのない状況だった。

俺が契約している駐輪スペースから 1mも移動せずに、夜盲症なんて生涯を抱えている人間にとって最悪な状況が目の前で展開されている事実に呆然としてしまった。
ひとまずほかの利用者の邪魔にならない場所まで移動してから、盲目状態の手探りでライトの状態をチェックしてみたけれど、工具も視力もない状況では為す術など存在するはずもなく 1分も待たずにお手上げとなってしまった。
しかがないのでライトが点灯しない状態のまま自転車へ跨って、ゆっくりと走行してきたけれど呼吸をする事さえ忘れてしまそうな程に神経を研ぎ澄ましていた。
不幸中の幸いは大通りへ出てしまえば車の交通量が多くて、光源に困ることがなかった事だけど、やはり無灯火での走行は何かと心臓に悪くて、帰宅時は酷く疲れていた。

ライトが壊れてしまった原因について考えてみたのだが、ここ数年間の間に自転車を何かにぶつけたり転倒させるといった衝撃を加えた記憶がない。
高校時代なら自転車でドリフトをしたりと比較的に荒っぽい運転だったから、気が付かない内に壊していても不思議ではなかったけれど、最近は安全第一で丁寧な運転を心掛けているから、気が付かない間に何かしたとは思えない。
何より壊れたライトは半年ほど前に購入したばかりと真新しくて、老朽化による故障もないだろう。

色々と考えていっても自分の行動の中でライトが壊れるような状況は見当たらなくて、ライトに衝撃が加わる可能性を見つける事にさえ苦労していた。
最終的に考えられる原因は駐輪場も向かいを利用している人が自転車を入れる際に思い切りぶつけている可能性で、日々の積み重ねられたダメージが今日の結果を招いたという発想だ。
思い返してみれば、ライトの角度が変わっている事があったり、前輪がレールから外れそうになっていた時があったから、何かと手荒にされている雰囲気は何度も感じられていた。

正直なところ向かいの利用者だけでなく、右隣の人も折りたたみ式とか微妙な規格の自転車を利用していて、ハンドルが引っ掛かって出しにくかったりと不満が多かった。
そのため契約しているスペースを移動できないものかと、今朝に相談してきたのだが生憎と満員らしく今日の明日で移ることはできそうにない。

とりあえず、ライトなしで数日を過ごさなければならない状況に耐えられるかどうか心配で仕方がない。
自己中な姉貴のおかげで胃袋に穴が開きそうな状態で、今度は心臓に負担が掛かってくるとか、どれだけ俺は追い込まれるのだろう。

嬉しさに 心の中で 雄叫びを2009年11月26日 20時04分14秒

嬉しさに 心の中で 雄叫びを

水曜の夜に自転車のライトが壊れて点灯しなくなって、夜盲症なんて生涯を抱えていながら無灯火で走行しなければならず、心臓に悪い毎日を過ごしている今日この頃、少しだけ良い知らせが舞い込んできた。
昨日の朝に駐輪場の管理人の所へ出向いて、今年の 3月に新調したばかりのライトが壊れてしまった事に関して、向かい側の駐輪スペースを借りている人が原因であると疑われるので、別のスペースへの移動したいと頼んでおいた。
その件に関して、今のところスペースの空きがないので移動は無理だけど、臨時の対応として所定の場所ではなく、壁際へ避難して置いておくことを許可してもらった。

この対応は俺にとって、別のスペースへ移動するよりも嬉しい処置であり、決定を聞いた瞬間を心の中で拳を振り上げながら雄叫びをあげるほどに喜んでいた。
何故に壁際への移動が嬉しいのかというと、指定された場所が該当の真下にあって最も明るいことに加えて、本来は駐輪スペースとして認められていないので、周囲に他の自転車がなくて広々としている。
もちろん駐輪スペースから自転車を引っ張り出す際に、隣の自転車とハンドルが絡まる事もないし、スペースが広いので雨の日の荷造りも随分と楽になる。

正直なところ定期契約を順番が回ってきた際に、駐輪用のレールに自転車を入れる手間と不便さから契約を少し躊躇った経験があるため、今回のように定期契約を結んでいながら壁際に駐輪できる事は本当に嬉しい。
別のスペースに空きができて、移動できるようになるまでの臨時処置となるのだろうが、延々と今の状態でも良いと思ってしまう。

ここ最近は先週末から姉貴の愚行に苛立っていたり、自転車のライトが壊れてしまったりと、散々な毎日に厄日が続くと嘆いていただけに、今朝の知らせは通常よりも倍以上の嬉しさに感じられた。
しかし、今は少し幸運に対するしっぺ返しで、未だにライトを修理できていない状況が背筋も凍るような不幸を呼び込みそうな予感がして、何やら詰めた汗に背中を濡らしている。
今日と明日さえ乗り越えれば、土曜の通院時に自転車屋の近くを通るので修理を頼んでこられる予定なので、後 2日を無事に乗り切りたいものだ。

日常に ながれてしまい 忘れてる2009年11月27日 20時28分50秒

11月も終わりに近づいてきた今日この頃、そろそろ忘年会の規格を動かそうと思い立ってから早くも 3日が経ってしまって、毎日のように「今日こそは案内のメールを出そう」と思っていたのに自室へ戻ると忘れてしまう。
同じ事を何度も繰り返していれば学習しても良さそうなだけど、どうにも部屋へ戻ってPCの電源を入れた時点から、全力で遊ぶことしか考えないらしくて、階段を上る直前まで覚えていたはずの記憶が何処かへ消えてしまう。
パターン化された生活が染み着いてしまった弊害で、イレギュラーな予定が日常の中に流されてしまっているのだと、理解はしているのだけど対応が難しくて困ってしまう。

例えば、朝一番に客先へ出向く予定となっている日であれば、定期入れを普段と違う場所へ移しておいて、改札を通る際にイレギュラーな用事があることを思い出すようにし向ける事ができる。
しかし、今回の件はメールを出そうと思い出すのが仕事帰りであり、自室へ戻ってからでないと実際にメールを出すことができない都合がある。
つまり、幼児を思いだした瞬間と実際に行動する時点に、私生活の内と外という大きな壁が存在するため、イレギュラーを仕掛けて用事を思い出す機会を作るのが非常に難しい。
服も着替えてしまうし、私生活に必要なものは全て自室で揃っているから、会社帰りに思い出しても私生活へ影響するようなイレギュラーを仕込むことは不可能に近い。

ここ最近になって分かってきたのだが、大切な事をブログの記事に書いておくと、印象に強く残るらしく自室へ戻ってから何のキッカケもなく思い出すことができるようだ。
大切な用事と言い張っておいて忘れていたりすると、記事を読んだ身内にからかわれるかも知れないという恐怖感や、逆に気を利かせて誰かが思い出させてくれる可能性への期待が混ざり合って、印象に強く刻まれるのだろう。
それに同じ話を何度も記事にしてしまわないように注意しているから、記事のあらましを記憶するように努めている事も影響しているのだと思う。

そんなわけで、今日は忘年会の招待状を出し忘れている件に絡めた記事を書いているわけだ。
正直なところブログのネタ不足に頭を悩ませていた所だから、記事にもなって一石二鳥だと喜んでいる。

結局は 辛い場面で 待たされる2009年11月28日 21時11分47秒

本日の予定は通院が 2つと、自転車のライトを修理してもらった後、土曜の恒例となっている同窓生Toda氏と昼食を共にしてから帰宅、そこから同人関係の作業へ没頭する事になっていた。
自転車の修理は 2つ目の病院が自転車屋の近くにあるため、診察券を出したから 1時間ほどある待ち時間の間に修理を頼んで、診察終了後に引き取りへいくつもりでいた。
待ち時間に用事が入っているので、暇潰し用に持っていくコミックを少なくしておこうかとも考えたのだけど、何となく嫌な予感がしたから、普段通りの量をリュックへ詰め込んで家を出た。

最初の通院は待合室へ入った時点で 2人しか患者さんが居なくて、早めに終わるかと期待していたのだが、診察券を出した後で外出していた人がいたらしく、俺よりも後から入ってきた人が先に呼ばれるという状況が続いた。
その人数が 4人を数えた辺りで自分の番が回ってきたのだが、状況を理解する事ができたとしても素直に納得できるかどうかは別の話で、何とも言えない疲労感に苛まれていた。
もちろん待ち時間が長いからと病院が外出する患者を容認していて、自分の前に何人いるのか分かるとか、待合室にいる患者がストレスを感じさせない対応を用意されているのなら文句はない。
しかし、そういう対応がない病院で後から入ってきた人が先に呼ばれていくというのは非常に不快なものだ。

続けて 2つ目の病院へ到着してみると、予想外に待合室がガランとしていて、また待ち時間に外出している患者が多いのかと思ったが、診察待ちをしている人のリストを見てみると、俺の前に 5人しか居なかった。
予想される待ち時間は長く見積もっても20分足らずで、病院から自転車屋を往復している余裕がなくて、嬉しい誤算だと思って診察中に自転車の修理をしてもらう算段を諦める事にした。

予想通り20分くらいで診察が終わって自転車屋へ向かったまでは良かったのだが、どうもライトにメーカー保証が無い上に LEDライトは自転車屋で修理できる範疇になくて、交換するしか手がないと言われてしまった。
確かに普通の豆電球とは違うから仕方がないと諦めて、どうせ修理費がかさむのなら勢いに乗って、以前から気になっていたタイヤと変速機のワイヤーも一緒に交換してもらうことした。
しかし、修理する箇所を増やせば修理に掛かる時間が長くなるのが必然であり、運が悪いことに修理依頼が立て込んでいるため90分ほど待って欲しいと言われてしまった。
一瞬だけ悩んだけれど、駐輪場で特別な待遇を受けられるようになったことを踏まえて、長い待ち時間を了承する事にした。

しかし、見事に病院での待ち時間が少なかった分だけ自転車屋で思い切り待たされる結果となった事に苦笑してしまう。
何より待合室が用意されていない所で90分待ちとか何処にいれば良いのかと首を傾げずには居られなかった。
10分ほど周囲を彷徨って辿り着いた場所はデパートの階段にある踊り場で、壁に寄り掛かった状態で暇潰しに持ってきたコミックを読み耽って90分という長い待ち時間を潰していた。

寒風に晒されるより良いと思って選んだ居場所だったのだけど、予想よりもずっと壁が冷たかったらしくて手持ちの本を読み終えた時は軽く背鈴に悪寒を感じていた。
修理の終えた自転車を引き取って、快調に走ってくれる愛車を走らせるのは楽しかったのだけど、風を切ると心地よさよりも強調される寒気の方が強くて、何とも言えない残念さがあった。

同窓生Toda氏との昼食を終えてから、帰宅すると体調は悪化の一途を辿っていて、再び風邪を引いてしまったらしい気配に溜息を吐きながらも、余裕がないからと無理をして作業を開始した。
何とか作業を妨害されるほど体調が悪化させずに済んだから良かったけれど、万全な状態で仕事ができなかったのは確かだ。
何とか予定してた部分まで完了させられたけれど、余った時間で次の作業を始める気力は残っていなくて、夕方過ぎからアニメ鑑賞で時間を潰していた。

夢に見た 光の速度 もう届く?2009年11月29日 21時56分48秒

今日の昼過ぎにKDDIの営業が我が家に訪ねてきて、インターネット関係の話だからと引っ張り出されて、最初は面倒くさいから早々にお引き取り頂こうと思ったのだが、内容が良かっただけに聞き入ってしまった。

我が地元は都心のベッドタウンとして認知されている割に、諸処の事情が重なって通信網の整備が遅れており、我が家に入っている光回線も細めの100BASEである上に、複数で共有しているので通信速度も振るわない。
最近では周辺のインターネット利用者が増えた事もあり、それこそADSLと同等かそれ以下といったレベルまで落ち込んでいたが、これまた諸処の事情で光回線の他にISDNしか使えない地域で、無理に光ファイバーを引っ張っているのだから仕方がないと諦めていた。

そんな状況が長らく続いて、光回線の割に速度が出ないという状況にすっかり慣れてしまった今日この頃、KDDIの営業の口から我が地元にも正式に光回線が届いて、各家庭に1000BASEの回線が入ると伝えられた。
正式な光ファイバー網が導入されることで、通信業者の選択肢も広がる事になり、今回の営業は現在契約中の NTTからKDDIへ乗り換えないかという勧誘だったわけだ。
話によると、現状より月々の通信費用が1800円ほど安くなる上に、KDDIが工事費を負担してくれて、今の100BASE回線を1000BASEへ切り替えてくれるとことだ。

他にも何やら色々とキャンペーンが組まれているそうで、プロバイダーと併せて 1万 5千円のキャッシュバックがあるとか話を聞かされたが、俺の中では1000BASEの回線を使えるなら乗り替える気に満点だった。
何よりも1000BASEの回線が届くようになっている事を知らせず、気が付かなければ100BASEを使い続けていたかも知れないと考えると、何も言いに来ない NTTの世話になる義理はないと感じられた。
それに通信費が月々1800円も浮くという話は財政状況の芳しくない俺の財布にとっても願ってもない話だった。

その場で乗り替えを決心して、さっさと手続きを済ませる事にしたのだけど、何やら契約に際して説明しなければならない内容が細々としていて、何やら「最後に」という単語を 5回ほど聞いた気がする。
しかも、玄関前で話を聞いたり記入したりしていたのだが、出掛けるつもりのない部屋着で応対していたから、本当に手続きが終わった頃に足先が冷たくなっていた。
何とか風邪を引くまでに至っていないから良かったけれど、少しばかり辛かった。

忘れ物 重たい足で 回収へ2009年11月30日 21時46分00秒

今日は比較的早めに帰宅する態勢へ入ったのだけど、先に仕事を切り上げて新しいシューティングゲームで遊んでいたT社員のプレイに見入ってしまって、最終的に帰宅時間はいつも通りとなってしまった。
本来なら早々に帰宅して進捗が良くない同人関係の作業をするはずだったのだが、出鼻を挫かれてしまったせいで今一つ気が乗らなくて、気晴らしも兼ねて調べ物の寄り道をすることにした。

探していた情報は帰宅後に取り掛かる予定の作業に関わる内容で、上手く行けば楽をできるかも知れないと思いつつ、最近の専門書がかゆいところに手が届いてくれない中途半端さが目立つから無駄だろうと始めから諦めていた。
結果から言ってしまえば、予想通りに求める情報へ導いてくれる専門書を見つける事ができなくて、殆ど時間を無駄にしたような状態だった。
分かり切っていた無駄な行動を取ってしまった事に対する呆れと、欲しかった情報を得られなかった悔しさや諦めを背負って、今度こそ帰宅しようと駅へ向かっている途中で不意に背筋が冷たくなるのを感じた。

その背筋が凍り付いた瞬間に、俺の頭の中を支配していたのは「弁当箱は何処でしょう?」という疑問だった。
本来なら鞄の中に入っているはずなのだが、今日はどれだけ記憶を掘り返しても弁当箱を片づけた覚えがなくて、何よりも手荷物の重量がほんの少しだけ軽い気がしてならなかった。
嫌な予感を前進に背負いながら鞄の中を調べてみたが、そこに存在しているべき感触を見つける事はできなくて、会社に弁当箱を置き忘れてしまった事実が確定してしまった。

ここで頭に浮かんだ選択肢は「取りに戻る」と「予備の弁当箱を買って帰る」という 2つだけで、弁当を諦めて明日の昼食は外食するといった楽な方法は不思議と思い浮かばなかった。
恐らくは年末から年越しに掛けて、大きな出費が続くことを考えてると少しでも節約しておきたいと願う気持ちが影響していたのだろう。
よく考えてみると予備の弁当箱を買いへ行くにしても、時間が遅すぎて閉店してしまった店も多くて、探し回っているほどの余裕などなかった。
結局のところ会社へ取りに戻る以外の選択肢が見当たらない状況で、仕方なく来た道を戻って弁当箱を回収しに行ってきた。

会社へ戻る途中の足の重さは尋常ではなくて、一歩を踏み出す毎に魂が削れていく茨の道のようだった。
せめてのも救いは俺が会社へ舞い戻った時もまだT社員がゲームを続けていた事で、帰り道は気を紛らわしながら帰ることができた。
もっとも弁当箱を忘れるなんて失態の要因の 1つはT社員が面白そうなゲームをしていた事にあるわけで、素直に感謝する気分ではなかった。