薄すぎる 話に飽きて 思うこと2009年11月14日 21時34分15秒

今日の夕食時に流れていたテレビは脳の活性化を促す趣旨の問題が出題されるクイズ番組だった。
単純に問題を出すだけではなく脳科学の解説なんかも混じっていたのだけど、いずれも何処かで聞きかじった事のある内容ばかりだったから軽く聞き流して出題だけ挑戦している状態だった。
最近のテレビが面白くない原因の 1つは得られる情報の重複が多くて新しい発見が少なくて「またこの話か」と飽きてしまう事にある。

人の脳というのは慣れてしまった事に対して活性化しなくて、筋肉と同じように使われなければ機能が衰えてしまう。
人間は楽をする事の天才であり、仕事を効率化するために知恵を使って様々な発明をして発展してきた。
楽をする事で成長してきた人類は快適な生活を手に入れて、頭を使うことを忘れた結果が、近年の子供に見られる著しい学力低下なのではないだろうか。

俺が小学校だった頃に比べると、教養番組と呼ばれる類の番組は数も激減している上に、バラエティ番組としての雰囲気が濃くて内容が薄くなっている傾向がある。
構成として面白くなければ視聴率を稼げないが故なのだろうと、理解するのは用意であるが、情報量が減ってしまっては本末転倒も甚だしいと思ってしまうのは俺だけなのだろうか。
小学校時代の俺は親が子供に見せたいテレビ番組ベスト10に登場する教養番組の内の 7つを面白がってみていた人間だから、どうしても最近の番組は話が浅くて知的好奇心を振るわせる場面が殆どない。

テレビと同じくゲームでも以前に比べて熱中する事が少なくて、その主たる原因は難易度が緩くて飽きてしまう事にある。
特にアクションゲームは頭を使う必要がないほどに難易度が低いゲームが多くて、少し前に 4歳児がなんだかんだと言いながら最終ステージまで進んでいて驚いた記憶がある。
難しいと投げ出されてしまうから子供に会わせた難易度だとしても、適当に連鎖することしか知らない幼児がクリアできてしまうのは呆れてしまう。

何というか振り返ってみると、色々なところが緩くなっている気がする今日この頃、少し自分の立ち居振る舞いを考えないと流されて腐ってしまいそうな不安を感じた今日この頃だ。