平成の 終わりに際し 振り返り2019年04月30日 23時09分10秒

平成という時代が新しい元号への切り替わりを持って終わりとなる。
昭和に生まれて、平成を生き抜いてきて、次に令和へ生き延びる。

昭和の頃は失明や失聴の恐れを抱えた体であると知られて、夜盲症の件もあったので早々に交通事故で死ぬのだろうと思っていた。
交通事故でなくても、人を殺してみたいと衝動的に行動する輩から見たら、俺の存在は絶好の標的に見えるのでないかと想像しながら、多くの時間を孤独の中で過ごしていた。
小学校では担任が勝手に障害の事をクラス中へ知らせたため、悪戯の対象とされた件もあって周囲へ対する警戒心を飛躍させて、人間嫌いへ到達していた時代でもある。

平成へ入る頃になると、強さの基準が身を守る事でなく、多勢に無勢の状況で相手を確実に壊して生き延びる事になっていると気付いて、ある程度の自信を持ったことで精神的に安定し始める。
同時に、俺の目や耳の障害について、高熱を原因として発症したり進行したりする恐れがあったのだけど、インフルエンザに初めて感染して40度の発熱を経験しても、何も問題なかったので楽観視できた事も精神安定の要因だった。

精神的に安定した事が良い方向へ影響してくれて、高校で1人、大学で9人の友人へ恵まれたし、
どちらかと言えば、人間の何か異物のような存在を認められる余裕が持てて、自分もまた不純物に分類されるのだと気付いて寄ってみれば、本人さえ驚くほどに馴染んだ結果だった。

そこから比較的に平穏のまま流れてきたけれど、母親の死を切っ掛けに再び精神的な不安定を抱えるようになり、左目の手術を経ての障害者認定と続いて、失明や失調ほど重度でないけれど楽観視ばかりでも居られない状況へ移行している。
令和の時代を過ごしている間に失明や失調が現実となる可能性もあると、昭和の頃へ思考や精神状態が巻き戻っている気がしてきた。
元号が変わるというので何の気なしに振り返っていたら、俺の人生という小さな歴史の中でも、時代の繰り返しが起きていると見えてきて、意外と面白い事になったと感嘆している。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「このブログはどんな空間でしょう?
 ひらがな4文字でお答え下さい。」

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://crimson-harberd.asablo.jp/blog/2019/04/30/9066629/tb