非現実 そうだとしても 限度あり2017年10月28日 23時03分35秒

「恋愛ゲームは現実の恋愛をシミュレーションしている訳ではない」と言う言葉を散見するのだけど、ゲーム好きを黙らせる伝家の宝刀が如くに使われるネタのようだけど、どうにもこうにも好きになれない。
当たり前の事をしたり顔で言われても呆れる他にないし、何よりも現実の恋愛にゲームのような波瀾万丈もなければ、恋をしたいと思える相手もどれほど居るのかと疑問さえ感じる。
そもそもにゲームは非現実を疑似体験して楽しむ娯楽なのだから、現実の恋愛が対象とならない事は必然であって、小説やドラマでも非現実的な恋愛が描かれているのと同じなのだ。

リアリティの追求を否定するつもりはないがジャンルを選んで言うべきであり、恋愛ゲームは恋愛要素の多く含まれる空想を再現しているゲームであって、現実の恋愛など元から眼中に入っていない。
そんな事は恋愛ゲームの愛好家でなくても認識している事であって、当然のことを伝家の宝刀として振りかざす輩が居たとしたら、現実の恋愛を美化して現実と虚構の区別ができなくなった阿呆にしか見えないはずだ。
それなのに現実の恋愛をシミュレーションしていないと言われて狼狽える描写へ繋がるまでが定型文となっていて、見ていると都合良く作られた流れに苛立ちを覚えてしまう。

こういう流れもまた虚構なのだから許容すべきなのかも知れないが、どうにも「ここは笑うところ」だと強要していた一時のお笑い芸を連想させるモノがあり、非現実にも限度という感覚が必要に思える。
何よりも作者の都合通りに話を進めるための定型文が存在する事に疑問もあって、俺としては質の悪い手抜きと思えてくるので許せないのだろう。