現実と 夢の区別は つきますか?2013年01月22日 23時12分54秒

参加しているSNSの閉鎖まで1ヶ月を切っている現状において、未だに実感というか危機感のような感覚が芽生えてくれない。
少し前に日記で軽く愚痴っていた「良くない流れ」は、チラチラと見えていた批判的な意見が聞いたのか勢いが弱まって、最初の賛同していた人からも冷静な意見が見え始めて安堵している。

物事には然るべき順序が存在して、複数人が協力して事を成そうとする時は特に重要となる。
今回は大規模SNSの閉鎖に伴い、企業へ運営を譲渡しての存続も模索される一方で、幾つかの有志グループが移住先となるコミュニティを立ち上げるなどの動きを見せていた。
運営権を譲渡する件の最終決定は閉鎖予定の1ヶ月前となっており、閉鎖が確定してから動き出したのでは間に合わないとして、交渉中から動き始めていた次第だ。
これは運営委員会が示したガイドラインへ従う行動であり、交渉が破断する前提として活動していた訳ではなく、先人の教えに従った備えであって正当な手順となる。

俺が「良くない流れ」と表した件は、運営権譲渡の件が破断した直後に出された提案であり、簡単に言えば「こんなメリットのあるサイトを作るとして、有料でも参加しますか?」といった発言だった。
この発言者は知名度のある人だった事に加えて、発言の中で「拡散希望」といった文言が含まれていたので、爆発的な速度で広まって縁遠い存在だった俺の所まで流れてきた。

この流れが何故に良くないのか。
この発言は提案と呼ぶにも値しない夢物語だった事、拡散という伝言ゲームの家庭で誇張されていた事、何よりも有名人の発言だから間違えないと盲信している風潮があったからだ。
多くの人から意見が欲しかったのであれば、先入観のない状態で原文へ対して意見してもらえるようにするため、私見を挟まずにリンクのみ流布してもらえるよう配慮すべきだった。

他の有志グループが稼働させているSNSがあるにも関わらず、傘下に加わって活動するのではなく、新規に作り出そうとした事にも物事の順序に反する行いと言える。

何故に傘下へ加わるという発想がなかったのか。
恐らくは物足りなさを感じていて、共同で理想のコミュニティを生み出すのは難しいと判断したか、無意識に総考えてしまった結果なのだろう。
良くない流れを生んだ発言は実現性に関して何も考えておらず、やるかやらないかの判断基準を求めたアンケートであり、言っている内容は夢物語と呼ぶべき現実味のない言葉だ。
それに対して有志によって稼働しているSNSは現実であり、夢物語に比べたら見劣りするのは当然の事である。

夢物語で現実を否定する。
そういう流れを生み出す発言を、俺は良くない流れと呼ぶしかなかった。

さらにもう一つ、「やるかやらないか」について断りを入れながら、「できるかできないか」について、金があれば実現できると言わんばかりの雰囲気が漂っていたのも良くなかった。

何よりも発言が出されたタイミングが最悪だった。
有志SNSが移住先候補として用意されたサイトと公式に紹介される前に、件の夢物語が流布された事で、本来なら後出しとなるはずの言葉が筆頭候補のような位置に着いてしまった。
物事の順序へ従って準備されたSNSを出し抜くような行為、俺はそんな流れが作り出された事に嫌悪感を覚えた。

そんなこんなで心配や不安から心が乱れていたのだけど、事が沈静化へ向かっているようなので、心の底から安堵の溜め息を漏らしている。