大晦日 俺の今年は 「不安」かな2011年12月31日 20時28分36秒

2011年の大晦日である今日は風邪が治らず体調不良を抱えたまま、体力と時間が不足している事もあって、手順を大幅に削った簡易版の大掃除に精を出していた。
時間が足りない件に関しては風邪による気怠さから寝起きに失敗した事に加えて、疫病神と呼んで嫌っている姉が動き回っていたため、顔も見たくないからと自室へ引き籠もっていた事が原因だ、

ようやっと疫病神がリビングから消えたので、早速にリビング及び台所を掃除するために、移動できる家具を部屋から運び出す作業へ取り掛かるも、途中で疫病神が入浴を始めた影響で、荷物を置く場所が大幅に削られてしまう。
大掃除を手伝いもせず遊び歩こうという人間が、家族がせっせと動き回っている姿を横見に入浴するとか、どれだけ根性が腐っているのかと呆れるばかりだ。
大掃除を手伝わないにしても邪魔にならないよう気を遣って、自宅から歩いて5分ほどの距離にスーパー銭湯へ行ってくれたら良いのだけど、どうせ文句を言ったところで「私が風呂へ入る前に掃除を始める方が悪い」と言い出すのだろう。

そんな調子で疫病神の妨害を受けながら掃除して、年を越せる準備が整ったと落ち着いて構えたかったのだけど、酔っ払った父親の相手をするのが面倒くさくなって、風邪を理由に早々に自室へ引き上げてきた。
俺は基本的に御礼を言われる事が嫌いな性分で、特に家事に関しては自分のためにやっている部分が大きいので、大掃除に精を出している事について、父親から出る感謝の言葉に嫌悪と不快しか感じられない。

俺の行動に対して御礼を言われると、感謝されたいが為に行動する卑しい人間と同類にされている気がして、言葉の通りに受け取れない難儀な性格なのだから仕方ない。
そんな偏屈な性格もあって嫌がっているのに、父親は気持ち悪い感謝の言葉を何度も繰り返してきて、相手を思いやらない言葉など自己満足以外の何物でもない。
父親の自己満足を満たすための茶番に笑顔で付き合えるほど、俺もまともな神経を持っている人間でもないので、発狂する前に体調不良を理由にして自室へ引き上げてきた訳だ。

そんな調子で大晦日まで慌ただしかったり苛立ったりとしていたけど、ようやっと落ち着いて過ごせる自室へと戻ってこられて安堵している。
改めて今年を振り返ってみると、今年を象徴する言葉として「不安」という単語が頭に思い浮かんできた。
震災や計画停電は言うまでもないとして、2010年の年末に地デジ対応の為にテレビを買い換えた事から始まる財政難は、9月まで口座がマイナスを維持するなど肝の冷やされる思いを味わった。
その他にも携帯電話や冷蔵庫の故障といったトラブルもあれば、仕事でも史上最低なコードを解析して再構成する作業に追われて、一段落したと思った仕事納めの日に朝帰りを強いられるなど散々だった。

今年は振り返ってみるほど大変だったと思うけど、その分だけ充実した時間を過ごしていた気もするので、今後の人生に良い影響を与えてくれそうな気がする。