仏前の 花を枯らして 気が沈む2011年06月13日 20時55分16秒

毎朝の習慣として母親の仏前に飾ってある花瓶の水を交換していて、今朝もいつものように仏壇の前へ立った瞬間に、今度の週末に新しい花を買ってくるつもりで忘れた事実に気が付いた。
仏前の花が古くなってきて買い替えようと思い始めてから、既に2週間も経過しているので花弁が落ち始めそうなレベルで痛んでおり、飾っておくのに忍びない状態となっていた。
ここ最近のPC関係で忙しく動き続けていた影響で時間が足りなくて、買いへ行くタイミングを先延ばしにし続けた結果だと肩を落としながら、粘り強く耐え抜いてくれていた花を仏前から下ろしてきた。

母親の仏前へ飾っている花は在宅している限り休日も含めて、毎日の朝食前に水を交換している事もあって長生きで、殆ど1ヶ月以上も花を保ってくれている。
そんな感じで出来うる限りの手入れを施していると、花の寿命として花屋の品質が如実に現れてくるので、自ずと購入する店が定まって顔パスで買い物ができるまでになっている。
今回も当然のように馴染みの花屋で買いたいのだけど、閉店時間が20時で定時ダッシュを成功させてもギリギリなのに、最近は夕食の弁当を食べてから帰宅しているため、週末以外に買いへ行けないのが実状だったりする。

それでも諦めきれなくて無理を承知の上で、最速の帰宅へ挑戦しようと意気込んで出社したはずが完全に忘れていて、夕食中に思い出すも既に閉店時間まで残り20分となっていた。
俺が贔屓にしている花屋は地元にあって、電車の移動だけでも1時間も要するために絶望的というより、物理的に不可能という言っても過言でない状況となっていた。
ここまでくると笑う以外の対応が何も出来ない状況で、帰り際に立ち寄れる適当な花屋で買ってしまおうかとも思ったのだが、花を抱えて電車へ乗り込みたくもなければ、品質の悪い品を購入できるほど財布に余裕もない。

母親の仏前に花を絶やさないように保っている理由は、単純に俺の自己満足なので誰に叱られるわけでもないけど、気分が良くない事も確かなので品質を諦めるか否かで滑降し続けている。
明日まで待つなら父親へ頼んで購入してきてもらう事もできるのだが、家族をパシリに使っているような気がするので面白くもないし、購入するところから手掛けてこそという気持ちもあって複雑な気分だ。

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