都心でも 閉校なんて あるらしい2009年06月01日 20時39分56秒

会社から駅へ向かう途中に中学校があったのだがいつの間にか閉校になっていた。
同じ生徒がいない学校でも閉校したのと放課後になって生徒が居なくなったのでは雰囲気に大きな差を感じる。
閉校している事に気が付いた時点で既に 1ヶ月以上の時間が経過していたのだが、日に日に生活が消えていく校舎を眺めていると、何の縁もないのに寂しさを感じてしまう事がある。

俺は学校が閉校するという光景をテレビでしか見たことがないから驚いたのだけど、G社長やT社員はそれほどに珍しい事ではないと軽く受け流していた。
少子高齢化が問題視される昨今において、生徒数の減少といった理由で閉校に追い込まれるという話は確かに珍しくないけれど、どちらかと言えば過疎化の進む山間部や離島での話という印象が強かった。
そのため都心にある中学校が閉校という事実は衝撃を感じざる終えなかったわけだが、実際のところテレビで取り上げられないだけで都会でも門を閉ざした学校は多いのだろうか。

俺が生まれた世代は既に少子高齢化が始まっていたので、子供が減ったという印象は殆どなくて、出生率が低下している事の危機感は数字でしか知らず危機感も持っていない。
それどころか行き帰りの電車に塾帰りと思われる子供達の姿があるから少子化が進行している実感を薄れさせてさえいる気がする。
ここ最近は不景気の影響からか塾帰りの子供が減っている気がするけれど、恐らく笑止かとは関係がない話だろう。

俺としては 100年に 1度の大不況と呼ばれる昨今に子供を持っていなくて良かったと感じてしまう。
もちろん結婚相手どころか恋人さえ居ないので、この事実を知っている人からは何やら酷いツッコミを受けてしまいそうだが、例え相手が居たとしても自制をしていると思う。
数年前の俺なら辛い時代に育った子なら強く生きてくれそうな気がすると、敢えてこの御時世に子供を作るとか言い出したかも知れないが、現実はなかなかに厳しいものがある。

現状において周囲を見てみると、赤子を連れている人の多くが険しい顔つきをしている印象があって、自分も子供を持っていたら同じような表情になっていたのだろうか。
ただでさえ辛い時代に子育てを頑張っている人達はどれ程に大変なのか、少しだけ考えてみたけれど実感がないと雲を掴むような感覚でしか見えてこない。
そういえば、国会で子育て支援という単語が聞こえてきた覚えがあるけれど、結局はどうなったのか良く知らないまま終わっている。
何も聞こえてこないという事は大した支援に成っていないという事なのだろう。

何というか少子高齢化を問題視する割に子供を持つ家庭への支援とか色々とやるべき事をせず、無駄な公共工事で税金を浪費している政府に対してため息しか出てこない。
この国はどうなってしまうのか、軽く心配になってきた今日この頃です。

存在の 意味も分からぬ 日傘かな2009年06月02日 20時43分36秒

通勤途中に 1車線と狭い割に交通量が多い踏切を渡るのだけど、その狭い踏切をフラフラと地位抱く蛇行しながら走っている自転車がいた。
運転していた女性は自転車の幅より運転手の胴回りの方が広いという程に太っていて、普通に走っていても邪魔なのに蛇行していたから下手なトラックよりも危なっかしかった。
俺は踏切の遮断機が下りている時点から動く障害物の存在を視認していたから反対側へ避難していたけれど、他の人達は随分と迷惑したことだろう。
しかも、その太った女性が真っ直ぐに走れない最大の理由は日傘を片手に指しながら運転をしていた事にあるというから始末が悪い。

俺が早々に避難した理由もただでさえバランスの悪そうな巨体が日傘を片手に携えている光景から、どう考えても真っ直ぐに走れるとはとても思えなかったからだ。
何より問題の踏切は遮断機から線路までの2mが小さくも急な坂道となっているため、俺でさえ傘を片手に信号待ちをしていると通過する際に少し緊張することがあるような場所だ。
つまり、片手運転をしているデブがまともに通過できるはずがないし、何より通勤・通学で人が多いとなればまるに決まっている。

幸いにして、俺は反対車線へ回避することができたけれど真後ろでブレーキ音が聞こえていた所を見ると、俺の後ろは正面から迫る肉塊に驚いて、前へ出る事をやめてしまったらしい。
あのデブは毎度の如くに対向車の方が避けてくれると思って、あんな無謀なことを繰り返している可能性を考えると、敢えて正面から突っ切ってやった方が良かったかと思ってしまう。

それにしても、あの太った女性の持っていた日傘に他人の迷惑を押し切ってまで持つほどの存在意義があるとは思えず、色々な意味で理解に苦しまされる人物だった。
ちなみに、俺が遠めに見た限りでも肌のシミは酷いし、そもそもに肉が弛んでいて見るに耐えないといった印象で、体のサイズに対して日傘が小さすぎて首から上が辛うじて陰に入っている状態だった。
何というか美容の面から言うと、最初にダイエットから始めるべきで肌荒れだとか何とか気にするようなレベルじゃなかった。

もちろん酷い日焼けをする体質の人だった可能性はあるけれど、そういった方々の対策として日傘の効果は脆弱すぎるし、何より自転車の片手運転は道路交通法違反に当たるから病気を理由に無視すべき話じゃない。
願わくば、自損事故でも起こして気持ちを改めてほしいものだ。

むさい夢2009年06月03日 06時40分41秒

今日は久しぶりに夢を覚えているのだけど、内容が細切れになっていて今一つ記事にしづらい。
イメージで言えば、共通する設定を有したショートストーリーの集まりといった感じだった。
それぞれクライマックスへの導入部分ばかりだったから、映画館で流れるCMに迷い込んでしまったようにも感じられる。

共通していた設定は不安定ながらタイムスリップの能力を手に入れてしまった少年が過去や未来で見てきた情報を元に事件を解決へ導こうとするといった感じだ。
タイムスリップを繰り返す少年もタイムスリップの方法もバラバラで、酷い子供なんて自宅の外壁に伸びたツタに拉致されて時間を跳躍していたりしていた。

もう 1つの共通点があって、それは女性の登場人物が全くおらず、出てくるのは掲示や探偵といった役割を背負った中高年ばかりだったことだ。
常日頃から女性と接する事にない生活はしている俺だけど、夢の中でくらい少し華やかで在って欲しいと思う。

盗まれた 財布の中の 残り物2009年06月03日 21時09分53秒

昨夜に帰宅するとゆうちょ銀行からの封書が届いていて何かと思って中身を確認してみると、警察にキャッシュカードが拾得物として届けられたの連絡が入っていたとの報告とカードの使用停止などの手続きを行うように促す内容が記載されていた。
つまり、先々週に無くした財布が警察に届けられて、中にキャッシュカードの口座番号から俺の所へ連絡がきたという流れだ。
警察が相手でも個人情報を漏らすわけに行かないため、ゆうちょ銀行からの連絡となっているけれど、この辺は以前に財布を落とした時と同じ経緯なのですぐに理解できた。

俺の財布が保管されている場所は遺失物センターという非常に分かりやすい名前の機関で、通勤途中の寄り道で済む場所だった。
残念ながら平日にしか窓口が開いていないとのことなので、今朝に30分ほどの遅刻を宣言して受け取りへ行ってきた。
財布が見つかって事への嬉しさはあるものの現金やカード類についての情報はゆうちょ銀行から届いた書面に書かれていなかったため、電車に揺られている間は不安を強く感じていた。
何より気になった事項は受領日の欄に 6月27日と記載されていた事で、俺が財布を無くしてから拾得物として登録されるまでに 5日間の時間がある事を意味する。
何らかの手続きで遅れたとしても 5日も掛かるとは思えず、親切な人が拾ってくれた可能性は感じられなかった。

嫌な予感を少しでも早く晴らしたくて、地図で見た駅から直線コースで遺失物センターへ向かおうとしたら、川に行く手を阻まれて駅前の陸橋まで戻されたりと空回りをしつつも無事に遺失物センターへ到着した。
簡単な手続きを済ませると、見慣れたはずの財布を戻ってきたのだが、やはり現金は抜き取られていたそうで随分と冷たくなっての帰還だった。
もっとも現金は覚悟していたので思っていたほどショックを受けていなくて、使い慣れた財布が戻ってきた事は素直に嬉しかった。

俺としては金曜の寄り道で必ず立ち寄っている店にポイントカードの方が再発行ができなかった事もあって、現金よりも気になっていたくらいだ。
そのため、財布を受け取って真っ先にポイントカードを探したのだけど、カード類の束の中には見当たらなくて軽く落ち込みそうになった。
しかし、その数分後に財布の中身を全て取り出そうとしていたら、普段は使わない場所から数枚のカードが出てきて、その中に残っていて欲しかったポイントカードが混じっていたから驚いた。

驚くと同時に拳を握りしめながら喜んでいる自分に呆れてしまうほどの喜びようだった。
しかも、溜まっていたポイントは 1万ポイントくらいと思っていたけど、実際は 2万弱にも成っていたから更に驚いた。
確か20円の買い物で 1ポイントを溜まるシステムだから20万円の買い物で溜めたポイントが無事に戻ってきたことになる。
何というか色々と呆れてしまう事が多いけれど、再発行ができなかった唯一のポイントカードが戻ってきてくれて本当に良かった。

後始末 あれよあれよと 間延びする2009年06月04日 20時55分18秒

昨日の朝に警察へ遺失物として届けられた財布を回収しに行ってきて、昼からは利用停止にしていたキャッシュカードを使えるようにしたりと後始末を始めていた。
最初にメインバンクのキャッシュカードの利用停止の解除手続きをしてもらって、給料を引き落として、クレジットカードの引き落とし口座へ現金を移そうと考えての順序だった。
窓口のあるコーナーへ向かうと、いつも通り案内係の女性が「本日はどういった御用件でしょうか」と来てくれた。
普段と違った事は近付いてきた女性が 2人もいて、片方はベテランの年期の感じさせる女性、もう 1人は目を爛々と輝かせていた新人であろう若いあんなん係だった。

本来なら作業を効率的に進めるため好みを無視してベテランを選択するところなのだけど、新人と思われる女性があまりにも強く瞳を輝かせていたから目を離すことができなかった。
そのため空回りしそうな勢いを背負った若い女性に案内をしてもらう事になってしまったのだが、それほどに複雑な書類があるとも思えないので新人研修の手伝いをするような気持ちで用件を伝えた。
俺の言葉を聞いている時の若い案内係さんは何処かの軍隊かとツッコミを入れたくなる程の直立姿勢で、今にも敬礼をし始めそうな雰囲気が何とも言えず可笑しかった。

更に俺のような紛失したキャッシュカードが戻ってきたパターンは初めての対応だったらしく、用件を把握した時点から持ってくるべき書類を思い出そうとしてか視線が左斜め上へ流れていった。
その変化の分かりやすさに初々しさを感じながら、手続きに必要な銀行印と身分証明書を持参しているかの確認を聞いていた。
本当のことをいうと、気合いが空回りしたのか声が裏返りそうになっていたから殆ど聞き取れていなかったのだけど、言わんとする事を想定して聞けば理解することはできた。

書類への記入が終わって窓口が空くのを待つようになった所で案内係さんと別れたのだけど 5分にも満たない時間で随分と体力を座れた気がする。
普段から疲れを溜め込んでいる影響もあって、待ち時間はウトウトとしっぱなしで、本人確認のためにされた質問で生まれた年の干支を聞かれたのだけど、寝ぼけた挙げ句に星座と勘違いしてカニと答えてしまった。
大惚けをかましている俺に対して、窓口の女性が思わず口に出した「はぁ?」という言葉はナイフのように突き刺さってくれて、軽く涙が出そうなダメージを受けた。

そんなこんなで睡魔と戦いながら手続きが終わるのを待っていたのだけど、何やらキャッシュカードの利用停止を解除できるのは口座を作った支店のみなのだけど、回線が混んでいて連絡が取れないとか言われてしまった。
できれば、即日に使いたいとは思ったけれど仕事中をほったらかしで来ているので贅沢を言えず、翌日からの利用再開という形でお願いをしてきた。

大きな肩透かしを食らったダメージを引きずって、今度はゆうちょ銀行のキャッシュカードを使えるようにしようと思ったのだけど、こちらは通帳がないと手続きができないそうで思い切り門前払いを食らってしまった。
何というか予定通りに行かないなんて毎度の事だけど、こうも立て続けにやられると少し落ち込みそうになってしまう。

そういう星の下の生まれたのだから仕方がないが何とも疲れる 1時間だった。

不調でも 修羅場を迎え 覚醒す2009年06月05日 21時11分18秒

今日は出勤途中から体調不良の気配を感じていて、出社すると同時に風邪薬を服用したのだけど手遅れだったらしく時間の経過と共に症状が悪化していった。
そんな不調に悩まされている所に 1本の電話が入ってきて、今日に作業する予定だった案件の提出期限が15時になってしまった。
この案件は難しくないのが単純に面倒くさいタイプで半日ほどを費やして仕上げるつもりで出勤したのだけど、体調不良を考えれば丸一日を使う事になりそうだと思っていた。

それが15時、電話を受けたのが昼前なので実質的に 3時間くらいで完成させろとの指示が下ったことになる。
いきなり突きつけられた厳しいスケジュールを目の前にして、否が応でもトイレや昼飯を後回しにする覚悟で久しぶりの修羅場モードへ突入する他に術はなかった。
体調が良くても終わるかどうか怪しいとか泣き言が頭を過ぎったりもしたけれど、ほんの一瞬の出来事で無駄なことを考えている余裕などないと言わんばかりに排除されていた。

集中力の方は地獄の入り口となった電話から10分も待たずして最高潮へ達したのだけど、残念ながら体力が伴わなくて途中で何度も糸が切れたように思考が止まる瞬間を何度も経験した。
徐々に集中力が途切れる週間が訪れる間隔が狭まってきて、限界を感じ始めたところで何かの生前本能を呼び覚ましたのか妙に作業の進みが良くなってきた。
今にして思うと、恐らくは知恵熱と体調不良による発熱が混ざり合って、軽く精神がトリップしていたのではないかと推測される。

しかも、奇妙な好調を見せる直前に意味が全く分からないエラーに阻まれて絶望的な危機に冷や汗を流し始めていたから本当に助かった。
意識が別次元から引っ張り出してきた新しい発想が目の前に絶壁のように立ちはだかるエラーを解決する鍵となっていなければ、今頃にどうなっていたことか考えただけでもゾッとする。
逆に致命的な不具合をあっさりと解決して事で更に加速して、時折に意識を別次元へトリップさせながらも順調に作業が進んでいった。
そして、15時を目前に何とか完成まで漕ぎ着けることができたのだけど、色々な熱に頭をやられてしまって自分がどんな手順で作業をしていたのか良く覚えていなかったりする。

突然に現れた修羅場を乗り越えて襲い昼食を食べる事ができたのは良いのだが、そこへ至までの道程は果てしなく遠くて険しかったために色々と燃え尽きてしまった。
昼食を食べ終わって少し休憩をして別の作業へ戻る予定だったのだけど、強烈な睡魔に襲われて身動きがとれず 1時間以上もディスプレイと睨めっこをするだけの時間を過ごしてしまった。
それでもなお復活できず諦めて30分ほど仮眠を取ったのだけど症状は悪化する始末だ。

最後になって別件での不具合を見つけた所で再び危機感に押し出される形で作業へ戻れたけれど、まさに四苦八苦しながら対応していた。
やはり体調不良の時に修羅場モードを使う影響は大きいと痛感させられた一日だった。

悪質な 眠気と汗に 塗れた日2009年06月06日 22時13分35秒

金曜は体調不良にも関わらず、修羅場モードを発動させざる終えない状況が突然に発生してしまったから精も根も尽き果てた状態での帰宅となった。
本来なら速攻で休息を取るべき状態だったのだけど、日曜に同窓生を集めてのバーベキューを企画していた関係でやるべき事が幾つか残っていた。
特に面倒だった出席確認はToda氏に押し付ける事に成功したのだけど、集合場所や何かの案内を作ったり、燃え尽きた頭を必死に動かして作業をしていた。

無理をした影響からか金曜の夕方に峠を越えたはずの体調不良が朝にまで尾を引き続けて、今日の予定を大きく狂わせてくれた。
今日の予定は通院してToda氏と昼食を共にするだけの大して珍しくもない普通の休日だったのだけど、昼過ぎに帰宅すると息切れをする程の勢いで疲れ果てていた。
疲れと体調不良の影響から強烈な眠気に襲われて、何度も昼寝をしたのだけど、目覚める度に体調が悪くなっているような錯覚を覚えるほど調子が悪かった。

眠気も異常だったけれど汗の量も半端ではなくて、酷い時は絞れば雫が落ちること間違えない程に全身を湿らせている時間さえあった。
もちろん着替えをしようかと思ったのだけど、生憎とタンスのあるリビングに疲れている時に会いたくない父親が居る気配がしたため、結局は濡れたシャツを着たままで過ごしてしまった。
こういった馬鹿をやっているから体調が戻らないという説もあるのだけど、恐らくは着替えても汗が止まらなければ再び濡れてしまう意味は殆どないというのが実際だ。
それに今日の汗は体内の毒素を外へ排泄するような印象があったから無理に止めようとも思わなかった。

明日の天気を気にしながら、汗をダラダラと垂れ流して、自室に籠もっているという異様な土曜はあっと言う間に日暮れを迎えてしまった。
本当は色々と成すべき事があったのだけど、昨日と明日の事を考えると無理をする気になれなくて、また後回しにしてしまった。
特にゴールデンウィーク中に仕上げる予定だったプログラムは今月中に片付けないと良くない事になりそうな雰囲気がしているし、悩みの種が尽きる事はなさそうだ。

一瞬が 楽しき時の 大切さ2009年06月07日 21時17分08秒

今日は同窓生を集めて某国営公園でバーベキューをやってきた。
本来は 1ヶ月前に花見の名目で開催するつもりだった企画なのだけど、色々な不手際が重なって会場の予約が取れずに延期されて、梅雨入りが心配される 6月初旬の開催となってしまった。
最初の予約で失敗した時点で、延期ではなく中止にしてしまう事も考えたのだけど、去年の旅行に引き続いて毎年恒例のイベントを途絶えさせる事に何か不安のような物を感じたから、悩みの種を抱える覚悟して 6月に変更する決定を下した。

実際に梅雨入りは気になるし、相変わらず日程調整のアンケートに対するレスポンスが悪かったりと、本当に悩みの種が尽きることがなかった。
当日の天気に関して、普段なら当てにならないからと聞き流している週間の天気予報を食い入るように見つめるながら祈り続ける毎日だった。
それでもバーベキューが予定されている日の 1週間前になっても、梅雨前線という単語が聞こえなかったから心臓への負担はそれ程に大きくなかったのが幸いだった。

とはいえ、ここ最近は財布を落としたり何だと不運が続いていたため、油断はできないと冷や冷やとしていたのだが、当日になってみると雨が降る心配なんて微塵も感じさせない快晴に恵まれた。
それどころか空が高すぎて、前日まで降り続いていた雨の影響から蒸し暑い夏日となりそうな予感さえ感じさせる朝となっていた。
その日差しはカーテン越しでも強く感じられるほどに強くて、玄関を開けて外へ出てみると病み上がりの軽く引き籠もっていた目には痛いくらいだった。

こんな行楽日和に恵まれた事に感動すると同時に、もしかしたら最近の不幸はこの快晴を得る幸運のために支払われた等価交換の代償なのではないかと思ってしまった。
それはそれで楽しいイベントとなってくれる事が間違えないので、かなり痛い不幸っぷりだったけれど、対価としては割に合っている気もする。
現状の厳しい経済状況で 1万 6千円近い損失を安いと見るか否かは難しいところだけど、今日という日を終えようとしている今は満足できる価格だと思える気分だ。

贅沢を言わせてもらえるのなら、今日という日が万事において楽しめる終始において気分の良い日だったら良かった。
家を出る前に準備でドタバタとする程度は良いとしても、T社員が理由を述べる事もなくドタキャンをしたり、G社長が集合時間を 2時間も勘違いして大遅刻をしたりと嫌な気分にさせられる場面が幾つかあった。
何よりも苛立たされる事は大きく気分を害する事柄を引き起こしたのが普段から同じ場所で仕事をしてる我が社の社員ばかりだった事だ。

この 2人はどうせ隣にいるからとアンケートへの返信を返さないばかりか「どうせ分かるでしょ?」と言って回答を返すつもりさえ見せない。
その癖にT社員は理由の言わずにドタキャン、G社長はメールを流し読みして時間を間違えるという失態を演じたのだから、企画者で毎回のように苦労している俺にとって胸くそ悪い話である事は察してもえるかと思う。

そんなわけで少しテンションの低い状態だったけれど、久しぶりに同窓生が集まるイベントは楽しかった。
残念ながら序盤は苛々としていた影響が出たのか、肉を一口大に切り分ける作業中に焼き肉タレの入った容器を引っ繰り返して、ズボンにシミを作る失敗を 2回もやらかしてしまった。
しかも、今日のズボンはクリーム色だったために醤油ベースのタレがシミになると酷く目立つ生地だったのでショックだった。
何より 2回もやらかして、両足に 1箇所ずつ茶色のシミを拵えてしまって、ここまで来ると笑うしかないと肩を落としていた。

バーベキューを始めて 2時間後、遅刻していたG社長が到着した事で心配事が一通り片付いたところで、ようやっとテンションが上がり始めた。
特に俺が用意した肉が面白いように消えていって、皆が美味しそうに食べている姿を見ていると気分が良くなっていった。
今回は野菜類を控えめにして肉を食べる事をメインにセッティングした効果と、前回のように時間が足りないと大急ぎで食べなくても良かったためだろう。
何にしても肉が足りないのではないかと心配するほどの食べっぷりはメインとなる松阪牛を仕入れた本人にとって何よりも嬉しい事だった。

それにオタクが大勢で会話している空間は妙な居心地の良さを感じられて良かった。
同じ会場で水鉄砲や水風船を持ち込んで、ずぶ濡れの馬鹿騒ぎをしている団体がいて、最初は何処か居心地が悪かった分だけどテンションが上がった時のギャップは酷かった。
特にG社長が到着してから直後に少し危険な爆弾発言があったりと、一気にオタク熱が盛り上がった時は何やら大学時代を思い出させる一幕だった。

結果的に見てみると嫌な気分でいた時間の方が多いのだけど、大学時代と変わらないテンションで盛り上がれる連中に囲まれて、妙なテンションでいた時間の方が強く印象に残っている。
それこそ嫌な気分だった時間を上書きしてしまう程に濃い 3時間だったとも言える。
こういった密度の濃い時間をもっと楽しみたいと思うのだけど、残念ながら社会人となってしまうと難しい所が多い。
悲しいところではあるけれど、偶にだからこそ楽しい時間の大切さを更に強く感じられるのではないかと思える。

暴食の 結果がコレだと 唸る腹2009年06月08日 20時44分03秒

今日は朝から腹の調子が悪くて、朝から晩まで腹痛に悩まされる落ち着きのない日となってしまった。
普通に腹を冷やした程度なら腹痛に苦しんだとしても半日程度で落ち着くところなのだが、生憎と前日に同窓生を集めてのバーベキューを開いていて、食べ過ぎていたから随分と苦痛の時間が長引いてしまった。

ちなみに腹の調子を崩した原因はバーベキューで食べた食材が当たったわけではなくて、寝ている間に腹を冷やしてしまったという単純な理由だ。
なにせ目覚めた時は掛け布団の上に寝っ転がっていたのだから腹を冷やしていない方が不思議な状況と言える。
しかも、昨夜は汗ばむ陽気だったのに日暮れから涼しい風が吹き始めて、日中との温度差から肌寒さを感じるほどだった。
そんな風の影響でグッと気温が下がっていて、この温度変化の激しさもまた腹痛を更に厳しいものとする要因の 1つとなっている。

掛け布団の上で寝ていた事について、最初から布団へ入るのを忘れていたわけではなくて、睡眠中に布団から這いだして掛け布団の上で落ち着いてしまった形になる。
普段から寝相が悪いなら諦めも付くのだけど、今日に関しては布団から抜け出すほどの理由があったりするので、もう少し対策を練っておけば良かったという後悔の念が少なからずあって微妙な気分だ。
布団から抜け出すほど寝相が悪くなった理由はバーベキューでの食べ過ぎたカロリーを熱として放出する生理現象が食後から 6時間を経過しても続いていたことにある。

要するに取りすぎたカロリーを放出しようとする発熱が冷え込みに備えてあった布団の中でも続いていて、暑さに堪えかねて布団の外へ逃げ出してしまった訳だ。
更にバーベキューで騒いだりしたり疲れ切っていたから体が冷え始めても気付けないほど爆睡してしまって、今日の腹痛という結果を生み出してしまった。
もちろん就寝時点で体の火照りが収まっていない事は承知していて、扇風機を回す程度の対策はしていたのだけど、予想以上に発熱が長続きしてしまったらしい。

何にしても朝からゴロゴロと唸り声をあげる腹を抱えて、通勤はもちろん仕事中も何かと心配の種が尽きない日だった。
日が暮れた頃になって少し落ち着いてきたのだが、電車の空調に影響されて再びくすぶり始めたりと未だに安心できない状況が続いている。
やはり暴飲暴食はすべきではないと改めて思い知らされる、そんな一日だった。

あの時に 自分が居たら 何をする2009年06月09日 21時17分06秒

秋葉原の通り魔事件から早いもので 1年が経過したのだけど、朝のニュースを見ていても意外と当時を振り返るような特集が組まれていない。
当時は十分な殺傷能力を持つナイフを普通に購入できる事や献花台のお供え物を盗んでいくホームレスなどが問題になり、随分と長いこと紙面に秋葉原に関する話題が載っていた記憶があるのに、今ではすっかり風化しているようだ。
やはり秋葉原はオタク文化の中心地だから社会一般に卑下してみられる傾向が色濃く残っているため、掘り起こしてまで事件を振り返る事はしないのだろう。

かくいう俺もオタクに分類される人間ではあるけれど秋葉原へ足繁く通うようなタイプではないので、日曜のバーベキューの席で同窓生に言われるまで気付いていなかった。
それでも一般人に比べたら秋葉原への思い入れは強い方だし、何より事件が発生した 1時間後に現場入りしていた事から印象深い事件ではある。
ちなみに事件当日の秋葉原へ行った理由は野次馬目的ではなく、窓生を集めての飲み会へ参加するためで、どうせ秋葉原まで行くのだから少し店を見て回ろうと早めに家を出た結果だ。

事件当日について、歩行者天国はもちろん大通りが封鎖されていたから目的の店へ行くのに 3倍近い距離を歩かされた事が強く印象に残っている。
何やら秋葉原が大混乱しているとか報道されていたらしいが、それは野次馬が集まっていたエリアに限定された話で、普通に買い物をしようと迂回路を探しているオタクの姿は至って平常通りだった。
主要道路が封鎖されて右往左往としている連中も居たけれど、コミケという聖戦を体験している秋葉原の住人にしてみれば大した混乱ではなかったし、少し人の流れが悪い印象こそあったけれど「混乱」なんて言葉を使うレベルではなかった。

そのため事件の大きさを感じ始めたのは飲み会が終わって帰宅した後、テレビでの報道をじっくりと見てからだった。
正直なところ事件現場が封鎖された後の秋葉原は大勢の死傷者を出すような事件が起こっていたと感じさせる緊迫感は見当たらなかった。
ある意味ではそういった気配が消してしまうのが秋葉原という土地柄なのかも知れないが、現場から帰ってきた俺は何やら夢を見ているような不思議な気分だった事を今でもはっきりと覚えている。

もしも現場に自分が立っていたら何かが帰られたのではないか、そんな疑問を事件の後に何度となく考えた事がある。
今も事件を振り返っていて犯人が目の前に現れていたら、俺なら止める事ができたに違いないと思ってしまう。
普段から人通りの激しい歩行者天国のど真ん中で起きているから、事件が発生した事にさえ気付かない可能性も十分に考えられるけれど、普通の人より早く反応する自信はある。
もちろん犯人を確実に取り押さえる術も知っているし、救護活動へ参加できるだけの知識も持っている。

結果が出た後の言葉だし、実際に同じ状況を再現することもできないから戯れ言にしか聞こえないかも知れない。
それでも自分が現場に立つ事で救える人がいたかどうかは分からないが、試してみたいと思う気持ちに嘘はない。