都心でも 閉校なんて あるらしい2009年06月01日 20時39分56秒

会社から駅へ向かう途中に中学校があったのだがいつの間にか閉校になっていた。
同じ生徒がいない学校でも閉校したのと放課後になって生徒が居なくなったのでは雰囲気に大きな差を感じる。
閉校している事に気が付いた時点で既に 1ヶ月以上の時間が経過していたのだが、日に日に生活が消えていく校舎を眺めていると、何の縁もないのに寂しさを感じてしまう事がある。

俺は学校が閉校するという光景をテレビでしか見たことがないから驚いたのだけど、G社長やT社員はそれほどに珍しい事ではないと軽く受け流していた。
少子高齢化が問題視される昨今において、生徒数の減少といった理由で閉校に追い込まれるという話は確かに珍しくないけれど、どちらかと言えば過疎化の進む山間部や離島での話という印象が強かった。
そのため都心にある中学校が閉校という事実は衝撃を感じざる終えなかったわけだが、実際のところテレビで取り上げられないだけで都会でも門を閉ざした学校は多いのだろうか。

俺が生まれた世代は既に少子高齢化が始まっていたので、子供が減ったという印象は殆どなくて、出生率が低下している事の危機感は数字でしか知らず危機感も持っていない。
それどころか行き帰りの電車に塾帰りと思われる子供達の姿があるから少子化が進行している実感を薄れさせてさえいる気がする。
ここ最近は不景気の影響からか塾帰りの子供が減っている気がするけれど、恐らく笑止かとは関係がない話だろう。

俺としては 100年に 1度の大不況と呼ばれる昨今に子供を持っていなくて良かったと感じてしまう。
もちろん結婚相手どころか恋人さえ居ないので、この事実を知っている人からは何やら酷いツッコミを受けてしまいそうだが、例え相手が居たとしても自制をしていると思う。
数年前の俺なら辛い時代に育った子なら強く生きてくれそうな気がすると、敢えてこの御時世に子供を作るとか言い出したかも知れないが、現実はなかなかに厳しいものがある。

現状において周囲を見てみると、赤子を連れている人の多くが険しい顔つきをしている印象があって、自分も子供を持っていたら同じような表情になっていたのだろうか。
ただでさえ辛い時代に子育てを頑張っている人達はどれ程に大変なのか、少しだけ考えてみたけれど実感がないと雲を掴むような感覚でしか見えてこない。
そういえば、国会で子育て支援という単語が聞こえてきた覚えがあるけれど、結局はどうなったのか良く知らないまま終わっている。
何も聞こえてこないという事は大した支援に成っていないという事なのだろう。

何というか少子高齢化を問題視する割に子供を持つ家庭への支援とか色々とやるべき事をせず、無駄な公共工事で税金を浪費している政府に対してため息しか出てこない。
この国はどうなってしまうのか、軽く心配になってきた今日この頃です。

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