反省を 微塵も見せず 言い逃れ2012年07月18日 22時43分35秒

先日からイジメを苦にして中学生が自殺した事件で、学内で行われた調査で惨事を未然に防げる材料が出ていたのに、教職員の保身としか思えない対応から最悪の事態へ進展した。
連日の報道で次々と明らかとなる事実を前にしても、校長を始めとする教職員はイジメを把握してないと言い張っている。

加害者の実名まで書かれた調査票があったにも関わらず、「イジメではなく、喧嘩だと判断した」などと主張して、過去の判断を正当化しようと言い逃れを繰り返していた。
彼等は人間としての不完全で教職員ばかりか社会人としても失格であり、俺の個人的な感性は見るだけで嫌悪感を覚える外道だと認識している。

彼等の発言で最も嫌悪すべき点は、反省の言葉が何一つとして聞こえてこない事だ。
過去の判断を正当化する事に何の意味も存在せず、悲劇を繰り返さないための反省する事が、自殺した生徒へできる償いの第一歩となる。
永遠に終わない償いの第一歩さえも放棄する言い逃れの数々は、勝手に自殺した生徒の方が悪いと内心で思っているように思え、人間としての存在へ嫌悪感を芽生えさせた。

自殺へ追い込まれるほど苦しんでいる生徒へ気付かない。
この時点で既に無能との罵りを甘んじて受けつつ、泥を食らって謝罪の体を尽くして然るべきと思う。
教職員とは子供を預かる立場にあって、教育を施す以前に安全を確保する義務と責任を負った存在で、その自覚がないのであれば直ちに教鞭を置くべきだ。
生徒の死を痛む心すらない人間性に欠けた教師がいるから、他者の痛みを考えずに虐めるような子供へ育つのだと思う。
イジメ撲滅を宣って特別指定校という大きな旗を掲げながら、大きな布地の陰でやっていた事を殺人者の育成であり、その生け贄が今回の被害.者だったわけだ。

言い逃れという行為にさえ嫌悪感を覚えるわけだが、その内容もおよそ人間の言葉と思えない。
事件の直前で行われたイジメに関するアンケートで複数のイジメ報告がありながら、全てをイジメでなく喧嘩だと判断したという言葉は理解すらできない。

生徒が「イジメ」と断定しているのに、外野へ属する教師が重要性の低い「喧嘩」とした。
生徒以上に生徒を理解できる教師など存在し得ないのに、どうして重要度を下げられるのか意味がわからない。
そもそもにイジメと喧嘩の間にどのような差があるのか。
その差は実質的に見過ごすのと同様の行為を正当化するほどに、万人が納得するほどの理由が存在するのか。

問い詰めたいとは思わない。
答えなど聞かなくても分かり切っている。
今もこの瞬間に彼等が呼吸している事を嫌悪するばかりだ。