逆走の 馬鹿を弾いて 今日も行く2012年12月20日 00時32分17秒

帰りが遅くなると常識の欠けた人が増していくのは何故だろうか。
俺は疲れている時だからこそ余計なトラブルを避けるため、常識的な行動を心掛けるへきだと考えるのだけど、どうにも世間一般ではマナーを遵守した行動も異端となるらしい。
そう思ってしまうほどに夜遅い帰りの電車は人と衝突する場面が多くて、トラブルを避けるという本来の目的が果たされずに、自分の正当性を主張する材料という印象が強くなってくる。

階段の上り下りで逆走してくる人と衝突する事が多くて、その殆どが逆走している事実へ見向きもせず、危害を加えられたと根拠のない正当性を主張してくる。
さらに逆走している事を教えても自分の非を認める事はなく、他の人と同じ行動なのだから問題ないと噛みついてくる。
他の人が対向する人のために空けてあるスペースへ割り込み、結果的に衝突しているという事情があっても、自分の都合が何よりも優先されると思い込んでいる。
そんな自己中心的な人間がこんなにも多いのかと呆れさせられる毎日だ。

俺も全く避けるつもりがなく、正面を突っ切っていくのも問題だと理解するけれど、互いに道を譲り合って何事もなく通過できるのなら善処するけど、逆走してくる連中は押し退ける今年か考えてくれない。
結局は衝突して押し退けられて不快な思いをして、それを噛み殺して再び歩き始める未来しか待っていないのなら、逆走している違反者が嫌な思いをすべきだと思う。
そもそもに甘やかして何か改善されるわけでもないし、1人を弾き飛ばして生け贄にする事で後続が道を空けるようになり、衝突による被害者をたった1人に限定できるので、総合的に捉えればメリットがあるだろう。

御託を並べて見たけれど、結局は逆走して俺の道を塞ぐ連中が大嫌いだから、避けてやるつもりも手加減してやる気もないまま針路を開拓するのみだ。
怪我人でも老人でも関係なく、通行ルールのような基本的なマナーくらい守って当然だと考える。
階段を上り下りできる体力があるのなら、右や左に寄ってから歩くことができて当然であり、周囲に迷惑を掛けると分かり切っているのならばこそ、簡単な交通ルールくらい厳守すべきだ。
それが怪我人や老人の特権を主張する前提条件として、守れる範囲の通行ルールくらいは守るべきだ。

代償も払わずに特権だけ手にしょうと考える輩が大嫌いだ。
そして、そういう連中を見ていると、疫病神と呼んで嫌っている実姉を連想してしまい、とにかく腹立たしくて仕方がない。

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