体調は 回復するも 無気力に・・・2019年05月12日 23時23分49秒

昨日の風邪は無事に撃退できたのだけど、父親の煩わしい小言を聞かされた影響で精神的にむ病んでしまい、休日の大半を無気力状態で過ごす羽目となっていた。
こんな状態へ陥るのなら風邪を引き続けても変わり映えしないと呆れつつ、疫病神が居なくなってもなお自宅で落ち着けない我が身を哀れむばかりだ。
しかも、父親の小言は土日の2日間に俺が在宅するだけでさえ苦労しただの何だのと言い出して、政治や週休に絡んだ話で意見が俺と合わない事への苛立っているだけに見える。
その憂さ晴らしを遠回しにしているのだろうけれど、その行動があまりに稚拙ながらも言い返しても火に油を注ぐだけなので、苦痛であろうと黙って堪える他にないという精神的な老人介護にうんざりしている。

父親の厄介な所は見識の狭さや相対する意見の否定を危険視しているのに、全く実戦できていないのに完遂していると勘違いする自己評価の高さにある。
例えば、父親は宗教が大嫌いなのだけど、無神論で害悪としての拒絶しているだけで、信仰心を悪魔の種か何かと思い込んでいる。
その割に宗教家の殆どは悪人でなく、危険思想の持ち主が一部に限られると理解者のような発言をする。
ところが、危険思想の持ち主が宗教を利用しただけの場合も多く、宗教は争いや戦争と無関係であるとする考え方を教えても、宗教が諸悪の根源だと言い続ける。

父親の中では宗教の根源を世界平和の追求だと根付いていて、事なかれ主義の集大成が信仰だとする発想も言葉で理解を示すのに、宗教が嫌いなので危険思想と結び付けやすい持論から離れようとしない。
結経は嫌いな物を悪く見ようとする見識の狭さから抜け出せていなくて、典型的な頑固者なのに見識の広さを自負しているのだから面倒臭い。
もっとも言うだけ無駄と分かっていながら、反論している俺も悪いのだけど、無神論者と信仰心を害悪と決め付ける輩を同類扱いされるのも胸糞悪いので、どうしても無駄口から墓穴を掘ってしまう。