責任を 非のない方へ 流すとは・・・2019年05月10日 23時44分42秒

先日に幼稚園児と保育士の列へ接触事故を起こした自動車が突っ込んで、2人の園児が犠牲になる痛ましい事故が発生してしまった。
事故は直進と右折の自動車が衝突して、直進していた車が歩道へ流れた末に園児と保育士を巻き込んだ格好となり、直進方向の優先を無視した右折車の運転手による前方不注意が原因となる。

この事故に関しては幼い命が犠牲になった事に加えて、先月末から痛ましい交通事故が立て続けに起きている影響もあって、報道メディアも盛んに取り上げているようだ。
ネット上では犠牲となった園児の通っていた幼稚園の責任者が開いた記者会見を見て、記者から投げ掛けられた質問の悪質さや非のない園が会見を開いた事へ疑問の声が上がっていた。
その一方で報道メディアが突然の悲劇に号泣する園長の様子を繰り返して放送する事により、責任の重さに堪えかねて泣き崩れていると印象のすり替えを行った可能性がある。

俺の父親はテレビしか情報源を持たないのだが、昨日まで交差点に車止めの鉄柱が設置されていない事を問題視する方向で俺と一致していたのに、散歩コースで横断歩道の利用を落ち度と言い出した。
それに加えて道路設計の問題とも言っていたけれど、父親の言い分では離れた場所にある陸橋が手前にあれば、交差点で立ち止まる必要が無くなるので、事故を回避できたという理論らしい。

父親がこのような理屈へ1人で辿り着くと思えないし、テレビで道路状況を詳しく解説していたという趣旨の発言もあったので、その番組に洗脳されてしまったのだと判断する。
道路計画は幼稚園を念頭に置いて話し合われないし、そもそも園児の足で陸橋を越えさせる行為が既に危険であり、最低でも子供2人に大人1人を配置しないと転んだ時に対応できない。
保育士の人数や園児の新調を考えると、陸橋の場所を引き合いに出している時点で暴論と言わざる終えないし、自己の責任を非のない対象へ向けようとする悪意すら感じる。

歩行者が自動車事故に巻き込まれる状況において、何らかの対抗手段があるのかと考えてたけれど、アクション映画のNG集に自動車を避けたり飛び越えたりするシーンが多い事に思い当たり、訓練された人間すら失敗する行動を素人に求めるべきでないとの意見へ辿り着いた。
逆に言えば、自動車はひとたび事故を起こしたら、逃げる暇もなく巻き込まれる歩行者が居る事を理解した上で、運転技術の向上を常に意識して運転してもらう他にないとの結論へ至る。