報道が 有罪だとか 決めるなと・・・2018年04月27日 23時34分36秒

ここ最近の報道メディアは犯罪認定から有罪判決へ至るまでの決定権を有していると思い上がっている。
そんな風に感じさせる場面が常態化し始めていて、呆れるを通り越して気持ち悪ささえ感じられる状況になっていて、全ての報道メディアを解体する必要があるとさえ思えてくる。

近しい事件では被害届すら出されていない騒動を有罪だと騒ぎ立てて、国政に影響が及ぶほどの大事を焚き付けている。
さらに、被害者との示談が成立して解決した事件を蒸し返して、正義の鉄槌を下す勢いで責め立てる私刑に処して、刑法の定める以上の社会的制裁を加えている姿も目新しい。
2つ目の案件に関しては一部の新聞社が事件の関係者へ被害者へ突撃取材を敢行して、被害者の心情を無視していると非難されたりもしたけれど、そういった不都合な部分は報道に載らなければ謝罪もしない。

記事のネタになるなら捏造された疑惑でも関係なく有罪であり、報道へ非難の及びそうな話は公表せずに無罪とする。
そういう腐りきった考えが蔓延している現状では、報道の自由を掲げる連中の実体が情報テロリストであると思えてない。
ネット上に流れる情報を嘘が混じっているから危険だと言うけれど、報道メディアは悪意のある記事ばかりで呪われたり洗脳されそうで恐ろしい。
危険性の方向が全く異なるけれど、報道による悪影響は下手したら一生涯に祟り続ける猛毒に思えててならない。

そんな猛毒が自らを正義の使者だと思い込んで鉄槌を振り回しているのだが、そこに恐怖しか存在しない。

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