平等は 低く揃えりゃ 進みそう2018年04月12日 22時49分09秒

男女平等という言葉が邪な感情の下で用いられていて、聞くだけで嫌悪感を覚えるまでに至っている。
差別を容認しているわけではないけれど、言葉の意味とは別の方向を向いたまま伝家の宝刀でも振りかざすが如く、男女平等という言葉が持ち出されているので苛立っているだけだ。

男女平等のために制度改革を求める所までは良いのだけど、大抵の場合に女性の扱いを男性と同じ水準まで無条件に引き上げるよう要求してくる。
例えば、女性の給与は男性と同じ額まで引き上げろと言い出すのだけど、会社が社員へ支払う給与の総額へ影響するため、実行するにしても大変な負担が生じる。
実効性と男女平等の理念を追求するのであれば、男性の給与水準を女性と同じところまで引き下げろと要求した方が良いのだが、こういった主張を今までに聞いた事が1度もない。

それは男性の給与が間接的に女性の財布にも影響するから嫌がるし、考えすらしない状況にあるのだと思っている。
純粋に男女平等を実現したいだけなら、女性の立場を引き上げるより男性を下げた方がよほど早い。
制度改革に関わる色々な手間が省ける場合もあるのに、何が何でも女性の立場を向上させる方式ばかり訴えてくる。
これはもう男女平等を歌いながら、その実に抱いている想いは労せずに得することにあるのだと思えてくる。

梳毛における土俵が女人禁制に関しても、男女に関わらず相撲神職に就いていない者は土俵へ上がれないとして、総理大臣であっても土俵の脇に儲けたお立ち台から渡せばいい。
それだけで片付く話なのに、伝統や仕来りへ固執する考えは前時代的だと言って、重要な文化を安易に改変しようとする浅ましさに呆れてしまう。

男女平等とは同じ高さに揃える事でなく、高すぎた者を低く据えれば簡単に解決するように思える。
それなのに女性を高く持ち上げろと欲張る輩が増えると、本来の目的である男女平等が何処かへ掠れて消えてしまう事になってしまう。