天災に 何が悪いも あるものか ― 2013年09月18日 22時14分15秒
今朝のニュースを見ていたら東日本大震災に関する裁判の判決について報道されていた。
津波警報の発令される中で送迎バスを走る判断を下した幼稚園が被告で、原告は問題のバスと共に津波被害へ遭って亡くなった5人の園児の遺族となっている。
聞きかじった話によると、亡くなった園児の自宅は津波の到達しないなかった内地だったのに、順路の関係で海寄りの家庭から順々に送っていったために、送迎が最後となって津波の被害へ遭ってしまったとの事らしい。
単純に話を聞いた限りだと、ただの八つ当たりに聞こえて仕方ない。
幼稚園にも災害マニュアルを全く活かせていなかったり、その存在すら知らない職員が大多数だったりと不備が多くて、結果的に原告側の勝訴という判決が下ったらしい。
被告となる幼稚園は上告するか否か検討しているらしいけど、俺の個人的な意見としては告訴棄却で良かったのでないかと思えてくる。
裁判の内容に関しても、災害マニュアルの取り扱いが争点となっていたと聞いているし、なにやら訳の分からない事となっていたように感じる。
幼稚園側の対応に不備があった事は間違えないと思うけれど、保護者が自主的に行動する事で亡くなった園児が助かった可能性もある。
例えば、送迎の途中で避難所に指定されている小学校へ立ち寄っていて、何人かの園児を親元へ引き渡していたと聞くので、そこに亡くなった園児の保護者が来ていたら話も変わってきただろう。
津波警報が出た時点で自主的に迎えへ行っていても良かったわけで、原告となる遺族も命を救う行動が取れたのにしなかった事実もあって、自分のやらなかった事を他者へ要求するのは間違っていると感じる。
今でこそ津波が堤防を乗り越えてくる事もあると認識できるけど、震災前の感覚で考えると海辺にでも居ない限り問題ないとの考えが大半だっただろう。
そんな常識を否定する現実が起きたわけだけど、あの当時に被害を想像して行動することなどできなかった。
それを悪と呼ぶのであれば、あの当時を生きている全ての人が悪となるはずで、当然のように原告も含まれているのだから話が狂ってくる。
あの震災で何が正しい行動となるのかを正確に把握していた人がどれほど居るのだろうか。
そんな善も悪もないような話を裁判で争っているから、争点が在らぬ方向へ飛んでいってしまったのだと思える。
結局のところ、突き詰めれば運が悪かったのだという結論へ達するような気がする。
津波警報の発令される中で送迎バスを走る判断を下した幼稚園が被告で、原告は問題のバスと共に津波被害へ遭って亡くなった5人の園児の遺族となっている。
聞きかじった話によると、亡くなった園児の自宅は津波の到達しないなかった内地だったのに、順路の関係で海寄りの家庭から順々に送っていったために、送迎が最後となって津波の被害へ遭ってしまったとの事らしい。
単純に話を聞いた限りだと、ただの八つ当たりに聞こえて仕方ない。
幼稚園にも災害マニュアルを全く活かせていなかったり、その存在すら知らない職員が大多数だったりと不備が多くて、結果的に原告側の勝訴という判決が下ったらしい。
被告となる幼稚園は上告するか否か検討しているらしいけど、俺の個人的な意見としては告訴棄却で良かったのでないかと思えてくる。
裁判の内容に関しても、災害マニュアルの取り扱いが争点となっていたと聞いているし、なにやら訳の分からない事となっていたように感じる。
幼稚園側の対応に不備があった事は間違えないと思うけれど、保護者が自主的に行動する事で亡くなった園児が助かった可能性もある。
例えば、送迎の途中で避難所に指定されている小学校へ立ち寄っていて、何人かの園児を親元へ引き渡していたと聞くので、そこに亡くなった園児の保護者が来ていたら話も変わってきただろう。
津波警報が出た時点で自主的に迎えへ行っていても良かったわけで、原告となる遺族も命を救う行動が取れたのにしなかった事実もあって、自分のやらなかった事を他者へ要求するのは間違っていると感じる。
今でこそ津波が堤防を乗り越えてくる事もあると認識できるけど、震災前の感覚で考えると海辺にでも居ない限り問題ないとの考えが大半だっただろう。
そんな常識を否定する現実が起きたわけだけど、あの当時に被害を想像して行動することなどできなかった。
それを悪と呼ぶのであれば、あの当時を生きている全ての人が悪となるはずで、当然のように原告も含まれているのだから話が狂ってくる。
あの震災で何が正しい行動となるのかを正確に把握していた人がどれほど居るのだろうか。
そんな善も悪もないような話を裁判で争っているから、争点が在らぬ方向へ飛んでいってしまったのだと思える。
結局のところ、突き詰めれば運が悪かったのだという結論へ達するような気がする。
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