平日:目覚ましを無視してた2008年10月31日 06時50分11秒

昨夜はどうせ眠れないからと言い張って、アニメやコミックについて語っていたら就寝時間が大幅に遅れてしまった。
しかし、寝る前に色々と鬱憤を吐き出したおかげか布団へ入ってから寝付くまでの時間が短くて、就寝時間の割に寝不足感は薄い気がする。

とはいっても、今週はずっと夜更かしとプチ不眠症のおかげで寝不足感がないわけではなく、思ったより酷くないだけだ。

曖昧は 便利だけれど 伝わらぬ2008年10月31日 21時49分04秒

同窓生の一人と連休中に会う約束をしていて、昨夜は時間などの調整をしていた。
その話し合いの中に明後日という表現があって、俺は日付が変わっていなかったから土曜日だと思っていた。
ところが相手の中では既に日付は変わったものと扱われていて、金曜から見ての明後日だから日曜日について放しているつもりだったわけだ。

正確なことを言えば 0時を回る前だから木曜を基準とすべきなのだけど、俺も日を跨いでも自分が寝るまで日付が変わったとは認識しない。
つまり、金曜日の深夜 0時に今日と言っても就寝前なら俺の中で日付は変わらないままで木曜日を指している。
それに対して、同窓生の方は帰宅して自室へ戻った時点で今日が終わったとしていたわけだ。

俺も正確に時計を読んでいるわけでないから同窓生を責めるつもりはないけれど、混乱させられた事は間違いのない事実だ。
少し前に似たような話で日付の確認をせずに曜日のみで話をしていたら日付が間違っていたことがある。
その時は現地に到着したとメールを出したら「約束は明日じゃなかった?」と返事がきた所で相手が曜日を勘違いていたと判明するという悲劇になった。

あの時は悔しさをブログの記事に書き込みつつ、泣きながら帰ったと記憶している。
その悔しさを不意に思い出して明確な日付が出ていない事が気になり確認してみると、両者の間で「明後日」の認識がずれている事が判明したわけだ。
良い具合に過去の苦い経験を教訓として活かすことのできた素晴らしい瞬間だ。


こうやって考えてみると、会話における時間は曖昧に表現されることが多いものだ。
今朝のニュースで新聞記者が総理大臣に「当面は解散総選挙を行わないということでしょうか?」と質問をしていた。
それに対して総理大臣は「当面って何時ですか?」と聞き返して、そのままの調子でのらりくらりと明言せずに誤魔化してしまった。
ここでもし「年内には」といった具体的な数字で質問していたら、もう少し明確な返答を聞き出せたかも知れないと思うのは俺だけだろうか。

曖昧さを含む言葉は色々と使いやすい面があるのは確かだけど、使うべきでない場面や職業がしっかりと認識されていない気がする。
特にニュースで目にする問答の大半が曖昧な表現の隙を突かれて、明確な答えを得られず逃げられているように感じる。
普段なら演出の一環なのだと冷ややかな目をしつつ流してしまうところだけど、厳しく追求して欲しい場面だと下手な日本語を使うなと腹を立てる事もある。

こうして考えていくと、日本語は表現が豊かで多彩だからこそ使い所が難しいと感じられる。
でも、難しいからと言って曖昧で使いやすい言葉ばかりになってしまうと真意を伝わらなくなるから気を付けよう。
そんな事を思った今日この頃、このブログは果たして俺の真意を読者に伝えられているのか不安に感じる。

日本語は本当に難しい。