情報は 鵜呑みにしない 吟味する2013年08月01日 23時32分16秒

ここ数日に自叙伝の小説を原案とした舞台で起きたトラブルがワイドショーを賑わしていて、会社でも話題に出たのだけど情報源を何処にするかで印象が大きく異なっていた。
情報が錯綜している故の現象である事は明白であり、色々な方面から事情を聞いて回らないと何が正しいか判断できない状況を再認識していた。

何かに興味を持って調べるなら幾つもの情報源を巡り、記事に含まれる筆者の主観を排除した情報の収集に努めて、何が正しくて真実なのかを自分自身で判断する必要がある。
しかし、情報に溢れた時代と言われる反面で感情や作意を含んだりと純度が低くて、情報収集へ努めても画面の中から真実を見出す事は困難な場合も多い。
最終的に信用へ足る情報は、直接的に事件へ関わって見聞きしたアナログな情報源となってしまい、情報社会を否定する結論へ達してしまうのは何とも悲しい結末だ。
要するにテレビやネットから仕入れた情報を鵜呑みにせず、しっかりと考えて判断していく必要があるわけだ。

ネット選挙にしても広く意見を述べる場として有用かも知れないけれど、投票する意志の弱い若者がわざわざ調べたりするはずがなく、ネットをまともに使えない世代に関しては偏った意見ばかり聞かされる可能性もある。
例えば、検索エンジンが各政党への評価を下すサイトへ誘導した場合、そこの意見が全てになってしまう恐れがあって、その上に掲載されたデータが改竄されていた場合がどうなるのか、考えるだけでも恐ろしくなってくる。
情報が操作されている可能性と危険性を改めて考えた一日だった。

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