幸運の 竹篦返しが きつすぎる2013年03月28日 00時40分39秒

運気の巡りが妙に良くて不安がっていた今日この頃、昨夜に全ての幸運へ対する大きな竹篦返しに見回れてしまう。
何があったのかと言えば、俺が疫病神と呼んで嫌っている実姉が深夜1時までリビングへ居座り、疲れて帰宅してから1時間も待たされてストレスから気が狂いそうになっていた。

俺は疫病神の足音にさえ嫌悪するほどに嫌っていて、リビングに居座っているだけで歯磨きも入浴もできなくなる。
もう4年も前から疫病神の顔を見ないように生活している事は、煙たがられている本人ばかりか同居する父親さえも知っている。
顔を合わせたとしても衝突しかしないのならば、接点を完全に消し去る事でバランスをバランスを取っているわけだ。
疫病神の人格も嫌悪の対象である事も加わって、現状では足音の1つさえも苛立つほどに嫌っていて、そのうちに殴り殺してしまいそうな気がして近づけなくなっている。

疫病神を避ける理由は多々あって、顔を合わせる度に愚痴を聞かされて気が滅入る事や、俺が物音を立てずに行き来する事から「いきなり居るから気持ち悪い」など言われて、そう言われる事が不快で堪らなかったなどがある。
疫病神は深夜でも大きな物音を出しながら生活するため、過去に度重なる睡眠妨害から俺の寝不足と深刻化して、立ち上がった直後に意識を消失してロフトから転落して事故を起こしている。
それは正しく疫病神と呼ぶべき所業であり、高さ3mのロフトより頭から転落した状況を考えると、死神に昇格していたかも知れないわけで、本気で一緒に生活したくない存在である。

その疫病神が昨夜の遅くまでリビングへ居座っていた。
曲がりなりにも円滑な生活を送るために、深夜23時以降は自室へ引き上げて1階を開放するよう要求を無視して、自分の都合だけで行動して他人の迷惑など考えもしない。
断っておくが、俺は歯磨きと入浴が済めば自室へ戻るので、遅くても深夜1時にはリビングや台所を自由に使える時間が用意されている。
ましてや、疫病神は常々に深夜3時まで起きているので、深夜帯を有効利用できる生活リズムを常々に送っている。
それを踏まえて23時にリビングを空けておくよう要求しているし、対価として早朝の1時間を明け渡している。

それでもなお、疫病神は俺のために時間を融通する謂われがないと言う。
こういう馬鹿な事を真顔で、それも自分が常識人だと言い張って主張してくる。
先述の事を説明しても「聞いてない」の一点張りで、都合してもらっている分だけ譲歩するという発想など持ち合わせない。

昨夜に至っては「行動の意味を推測するよう要求する事は自己中だ」と言い出した。
これは「他人の事を考えてながら行動しない」と公言しているようなもので、改めて会話な成立しうる相手でないのだと再認識させられた。

行動の意味を考えるといっても、難しい事を言っているわけではない。
それこそスーパーの駐輪場で荷造りをしていたら、後ろから視線を感じたとして、この視線の意味が「この駐輪スペースが空くと思って待っている」と予想する程度のことだ。
普通なら荷造りがすめば場所を譲るわけだけど、疫病神の言い分で行くなら待っている人を無視して携帯で話し込んでも、自己中心的との誹りを受けない常識的な行動だと言っているわけだ。

こんな事を平然と言うような奴を、俺は何故に家族と呼ばねばならないのだろうか。