諦めを 否定するのも どうなのか ― 2025年03月05日 22時45分01秒
高額療養費制度の適用要件となる上限額を引き上げる法案審議の中で、金銭的な理由で治療を諦めさせてはならないとの発言があった。
この発言を思い返す度にも引っ掛かるものがあって、治療を諦めるという選択肢を否定しているようなニュアンスが感じられる影響だと思っている。
法案の影響で金銭的な負担が増える事から「金銭的な理由で」と言っているけれど、根本的な部分として「治療を諦める」という選択肢を否定しているように感じられる。
苦痛を伴う治療もあれば、完治しない病気もあるのだから、治療を諦める選択肢の先として終末医療が存在する。
諦める理由の1つとして金銭的な問題があって、何が問題なのかと母親が終末医療を受けていた身の上としては感じてしまう。
母の場合は当時に出ていた抗癌剤を全て試しても効果がなくて、効果の薄かった系統の新薬を試すかどうかの選択において、終末医療へ切り替えた末に亡くなっている。
最後の選択に際して、俺は効果の見込めない抗癌剤で苦しみ続けた末に衰弱して死ぬよりは、終末医療の方が良いのでないかと母に告げている。
苦しんでいる様子を見続けていたからこそ死刑宣告のような発言をしたわけだけど、後悔が全くないかと言えば嘘になるわけで未だに引き摺っている部分がある。
もしも終末医療へ切り替える際の理由が「金銭的な問題」だった場合、当時の経済状況で最善を尽くしたと言い訳できたかも知れない。
そうなったら今ほど引き摺っていない可能性もあるかもと考えたら、冒頭の発言を正論と決め付けて振りかざされるのが不快に感じられる。
この発言を思い返す度にも引っ掛かるものがあって、治療を諦めるという選択肢を否定しているようなニュアンスが感じられる影響だと思っている。
法案の影響で金銭的な負担が増える事から「金銭的な理由で」と言っているけれど、根本的な部分として「治療を諦める」という選択肢を否定しているように感じられる。
苦痛を伴う治療もあれば、完治しない病気もあるのだから、治療を諦める選択肢の先として終末医療が存在する。
諦める理由の1つとして金銭的な問題があって、何が問題なのかと母親が終末医療を受けていた身の上としては感じてしまう。
母の場合は当時に出ていた抗癌剤を全て試しても効果がなくて、効果の薄かった系統の新薬を試すかどうかの選択において、終末医療へ切り替えた末に亡くなっている。
最後の選択に際して、俺は効果の見込めない抗癌剤で苦しみ続けた末に衰弱して死ぬよりは、終末医療の方が良いのでないかと母に告げている。
苦しんでいる様子を見続けていたからこそ死刑宣告のような発言をしたわけだけど、後悔が全くないかと言えば嘘になるわけで未だに引き摺っている部分がある。
もしも終末医療へ切り替える際の理由が「金銭的な問題」だった場合、当時の経済状況で最善を尽くしたと言い訳できたかも知れない。
そうなったら今ほど引き摺っていない可能性もあるかもと考えたら、冒頭の発言を正論と決め付けて振りかざされるのが不快に感じられる。
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