廃止論 唱える奴と 関わるな2019年06月26日 23時21分16秒

ここ数日にTwitterを眺めていると、体育の授業で泳げるようになった人を知らないので、不要だから廃止すべきとの主張が流れてくる。
こういった廃止論は色々と形を変えながら定期的に見かけるのだけと、その中身を見てみると随分と自己中心的で視野の狭い理由の場合が多い。
それこそ廃止論を唱えたり賛同したりする連中に対して、頭の狂った輩なのでかかわり合いにならない方が良いと刷り込まれつつある。

そもそもの論議として、授業成果が見られないから廃止すべきとする発想からして間違っている。
むしろ、水泳教室へ応援を求めるなどの対策を講じて授業の向上を図り、生徒全員が100mを泳げる事を義務化すべきと唱えるべきだ。
泳げることに何のデメリットもないし、小学生の水難事故を発端に水泳授業が導入された背景もあるので、不要だの廃止だのと言い出す輩は害悪以外の何者でもない。

廃止論を唱えれ本人は不真面目な姿勢で臨んだために泳げないままに終わり、その事実へ羞恥心を募らせた末に水泳の授業がなければ、恥を掻かずに済んだと逆恨みしているのだろう。
そして、今までの人生で水泳の必要に迫られる場面へ遭遇していないから、日本中の全国民も泳ぐ必要の一生を送ると決めつけて発言している。
ついでに言えば。自分が泳げるようにならなかったのだから誰一人として、授業で水泳を拾得した生徒が居ないはずと決めつけてもいる。

要するに、自分が双なのだから他の人も同じに違いないと決めつける狭い視野の持ち主であり、責任を他者へ押し付ける歪んだ心も併せ持っていると考えられる。
真っ当な思考のできる人間性を感じられないのだから、関わらないに越したことはないと考えるべきだ。