何もせず 時にはこれも 善意なり ― 2019年02月27日 23時33分53秒
以前に祖父母の所へ遊びに来ていた幼児が近くの海へ行く途中で愚図り、1人で引き返していったまま行方不明になった事件があった。
大規模な捜索態勢にも関わらず発見されない状況が続く中、1人の老人ボランティアが独自の経験から子供の足で登れないと思われ、捜索範囲外となっていた裏山で幼児を保護した。
この一件で時の人と成った発見者がつい最近になって、東京都から大分県の自宅へ徒歩での帰宅という挑戦に挑んでいた。
何らかのチャリティ活動という訳でもないらしく、思い付きを実行へ移しただけなのに本人の意思と関係なく、SNSを中心に加熱して大勢の人が集まりだしてしまう。
そして、頼んでもいないのに差し入れを押し付ける輩が多数に渡り、最初はキャリーバッグだったのに荷物が増えすぎてリアカーへ変わり、写真や握手に応じていると身動きが取れなくなる事態も発生する、
更に路肩へ駐車して見物する迷惑者や子供から手も目も離す親なども現れ始めて、渋滞や沿道へ人が溢れるなどの危険な状態が目立つようになった。
この状況にボランティア経験の豊富さから危険性を感じて、挑戦の断念を決めたという流れとなったと経緯が報道されていた。
この話を聞いていて思う事はテレビに付きまとわれると碌な事にならず、自己満足の挑戦さえもまともにできなくなるとは可哀想でならない。
何よりも迷惑を考えずに殺到する連中や、善意のつもりか何か知らないけれど物を押し付けていく奴等が気持ち悪くて、話を聞いているだけでも反吐が出る。
特に物を押し付ける連中は挑戦者を貧乏で可哀想な物乞いへ恵みを与える聖人に成ったつもりなのだろうが、その実態は荷物が重くなって体力の消耗を激しくさせる。
文字通りの足枷にしかならないのに、善意を断れない人柄と知りながら押し付けて、足を引っ張っていくのだから酷い話である。
ボランティアとしての素晴らしさを讃えていながら、その姿を見倣おうとしないのだから人間として腐り切っている。
こんな愚行を演じるくらいなら、何もせずに居る方がよほど為になったはずで、挑戦者が何を求めているのか考える余地を何故に持てないのかと呆れるばかりだ。
大規模な捜索態勢にも関わらず発見されない状況が続く中、1人の老人ボランティアが独自の経験から子供の足で登れないと思われ、捜索範囲外となっていた裏山で幼児を保護した。
この一件で時の人と成った発見者がつい最近になって、東京都から大分県の自宅へ徒歩での帰宅という挑戦に挑んでいた。
何らかのチャリティ活動という訳でもないらしく、思い付きを実行へ移しただけなのに本人の意思と関係なく、SNSを中心に加熱して大勢の人が集まりだしてしまう。
そして、頼んでもいないのに差し入れを押し付ける輩が多数に渡り、最初はキャリーバッグだったのに荷物が増えすぎてリアカーへ変わり、写真や握手に応じていると身動きが取れなくなる事態も発生する、
更に路肩へ駐車して見物する迷惑者や子供から手も目も離す親なども現れ始めて、渋滞や沿道へ人が溢れるなどの危険な状態が目立つようになった。
この状況にボランティア経験の豊富さから危険性を感じて、挑戦の断念を決めたという流れとなったと経緯が報道されていた。
この話を聞いていて思う事はテレビに付きまとわれると碌な事にならず、自己満足の挑戦さえもまともにできなくなるとは可哀想でならない。
何よりも迷惑を考えずに殺到する連中や、善意のつもりか何か知らないけれど物を押し付けていく奴等が気持ち悪くて、話を聞いているだけでも反吐が出る。
特に物を押し付ける連中は挑戦者を貧乏で可哀想な物乞いへ恵みを与える聖人に成ったつもりなのだろうが、その実態は荷物が重くなって体力の消耗を激しくさせる。
文字通りの足枷にしかならないのに、善意を断れない人柄と知りながら押し付けて、足を引っ張っていくのだから酷い話である。
ボランティアとしての素晴らしさを讃えていながら、その姿を見倣おうとしないのだから人間として腐り切っている。
こんな愚行を演じるくらいなら、何もせずに居る方がよほど為になったはずで、挑戦者が何を求めているのか考える余地を何故に持てないのかと呆れるばかりだ。
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