土俵から 落として勝つは 品がない2019年01月18日 23時12分50秒

日本人の横綱として期待されながらも怪我に悩まされ続けて、進退を掛けて臨んだ今場所も幕開けから3連敗を喫してしまい、引退を表明するに至った。
横綱の引退に関する報道では、本来の相撲が取れない原因となる怪我を負った時の取組が何度も流されていた。
その映像で土俵下へ投げ捨てられた時に負傷していて、勝った力士が土俵の上から見下ろしている様など見ていると、嫌悪感を母得ると同時に相撲でない何かに思えてくる。

負けた力士を土俵下へ投げ捨てて、土俵の上には勝者だけ居ればよいと言わんばかりの態度と言えば、横綱としての品格を疑われた横綱が頭に浮かんでくる。
俺はあの横綱が大嫌いだったし、彼の登場から先の相撲が悪影響を受けたのか喧嘩相撲へ寄っていって、見るに堪えない取組が増えたからと意識的に見なくなった。
土俵の下へ投げ捨てる行為は力士が怪我する原因となって危険という事もあるけれど、勝った力士が土俵の上に立てる神様と言わんばかりの立ち姿が見苦しく思う。

相撲の源流は神事であって神様へ奉納する行事であり、主賓たる神仏を差し置いて勝った力士が独壇場に立つ姿を見ると、勝者こそが神だと思い上がっているようで嫌悪の対象となっている。
それに土俵下へ落とさないように加減できる余裕の勝ち方こそ称賛されるべきで、横綱ならば相手に怪我させない配慮のできる強さを示すべきだと考える。
それこそ横綱の品格であろうと思っていて、素行の悪さよりも土俵の上で見せる姿からして品に欠けていた。

そして、現在の相撲を見ていると、多くの場合で力士が土俵下へ転がり落ちていて、昔のように勝った力士が手を差し伸べて土俵へ戻す行為も見ない。
相撲協会の親方衆も土俵下への投げ捨てを格好良いと思っているのだろうか。
怪我の原因となる事を踏まえても可能な限りに土俵下へ落とさず、余裕のある勝ち姿を推奨すべきだと思う。
極端な話をすれば、相手の力士を土俵下へ落とした場合は減点として、同じ勝利数なら余裕のある勝ち方をした回数の多い方が優勝で良いとさえ考える。

とにもかくにも力士の怪我を減らす努力と改革が必要だと思わせる横綱の引退報道だった。

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