障害を 理解するなど 無理なので2018年12月16日 22時37分06秒

以前にも書いた気もするのだが、障害者の子を持つ親と自称する人間によるツイートとして、もっと障害の事を知って理解してほしいという趣旨の投稿が流されてくる。
俺はこの手の発言に大して強い嫌悪感を覚えていて、その中でも電車に乗っている時に赤の他人から何かしら言われた出来事が添えられていたら、それはもう詐欺師を見るような蔑んだ目でしか見られなくなる。

電車の中で何か言われたという話だけど、はっきり言ってしまえば嘘である可能性が極めて高いと考えている。
そういった問題が出るとしたら学校や近所といった日常の中、それも頻繁に遭遇する機会の多い相手から言われるはずであり、電車で乗り合わせただけで干渉してくるほど他人へ興味津々の日本人など殆ど居ない。
希少種とも言える他人へ干渉したがる日本人に遭遇したとしても、そのたった一回よりも日常の中で遭遇した問題の多くて衝撃的な話題も多いだろう。
それを差し置いて、電車の中で希少種に遭遇して何か言われた話を持ってこられても、現実感のない作り話であるとしか思えない。

それに知ってほしいや理解してほしいと伝家の宝刀と言わんばかりの言葉を振りかざすけど、この物言いも全ての知恵を得た賢者にでもなったような上から目線に思えて好きじゃない。
第一に親だから障害の事を理解していると言わんばかりの態度が気に食わない。
俺の母親は色々な診療科を渡った看護婦であったけれど、それでも「私に障害の事は分からないから、不便があれば言いなさい。そうしないと何もしてあげられない」とはっきりと言っている。

障害と言っても1つでもないし、同じ病名であっても個人差の大きさだけでなく変化もしていくので、障害者本人でさえも自分を理解できていると言い難い。
それなのに「私は障害の事を理解している。だって、親ですから」と言わんばかりの物言いへ対して、俺は大きな不信感を抱くと同時に激しい不安に襲われる。
前者が嘘である可能性を考えても感情であり、後者は何か妙な自信を付けて大きな見落としなどしていそうで心配になっての想いだ。

この手の発言をする人達は、自分が知ってほしいと言った以外にどれほどの障害を知っているのか教えてほしい。
難病や奇病と呼ばれる病気は数え切れないほどに存在するのだが、障害を知って理解してほしいと要求している当人なのだから、数多の障害に精通しているのだろう。
そうでなければ、上から目線で「知ってほしい、理解してほしい」と言えるはずがない。

俺に言わせれば、障害者である本人すらも理解していると言えないのに、家族であろうと当事者でない人間が理解してほしいと赤の他人へ求める事自体、有り得ないし有ってならない事だと思っている。
だからこそ、こういった手合いの発言へ対して嫌悪感しか湧いてこない。

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