休みなど 憂鬱だから 要らないよ2018年11月27日 22時51分34秒

年末が近付いてくると正月休みで長い休みを取らされるので憂鬱な気分になってくる。
それというのも父親がたったの三連休でさえも連休最後の日に晩飯の用意に関して、大変だったとか疲れたと言った言葉を俺に聞こえる場所で漏らすからだ。
そんな言葉を聞かされて良い気分にはならないので断りたいのだが、世話を焼きたくて仕方のない父親なので、それはそれで拗ねたり不機嫌になったりと面倒臭い事になる。

どっちにしても憂鬱な気分になるのなら、父親の欲求を満たしてやる方が良いのだ。
大変だっただの疲れただのと言葉を漏らすのも、自分が頑張っているのだと誇示したいがための発言であって、それを聞かされた相手がどう感じるかなど考えてもしないのだ。
定年退職したら家族サービスを頑張るつもりだったと、間抜けな事を言っていた父親なので真っ当な思考を期待する方が間違っているし、俺が我慢してやれば済むのなら堪えればよいだけだ。

そうは言っても気分の良くない状況である事に変わりないので、できる事なら休日を1日でも短くしたくて、いっそのこと正月も出勤でも良いとさえ思ってしまう。
それほど休みが嫌に感じているのだから、我慢すれば済むと言いながら受けているストレスが如何ほどなのか察してもらえるだろうか。

何よりも悲しい事は父親が未だに定年した後に家族サービスをするつもりだったと、非現実的な人生設計をしていた過ちに気付いていないので本当に辛い。
父親が定年を迎える時に末っ子の俺でさえ三十路を過ぎていて、家族サービスの提供者になっている事こそあっても、受給者になる年齢では無くなっている。
母親に至っては病気で他界している有り様だし、夢だった家族サービスを押し売りしている上に大変だの疲れただのと苦労を誇示してくる。

そういう父親なので仕方ない、と割り切りたいのだけど、何処で毒を吐いておかないと精神的に潰れてしまう。
困ったモノだと呆れながら、既に憂鬱な気分が始まっている今日この頃だ。