梨だけは 評価基準が 狂っている2018年10月25日 23時22分46秒

帰宅するとリビングに柿と梨が2個ずつ置かれていた。
家族に果物を好んで食べる人が居ないので買ってこなくて、御中元や御歳暮に箱単位で送られてきた場合が真っ先に思い浮かぶので、飽き飽きしながら食する苦痛を思い出して苦々しい顔になってしまう。
何よりも貰った本院である父親が全く食べないので、俺が実質的に全て食べる事になる辺りも面白くないのだけど、近所付き合いを蔑ろにされても困るので致し方ない。

しかしながら、貰い物として最も嬉しくない果物である梨が2個もあって、普通よりも二回りほど大きさがあって見るからに大味で美味しくなさそうだった。
そうでなくても本当に美味しい梨を過去に食べた経験があるために、普通の梨を喜んで食べられなくなっているので、せめて別の果物にしてほしかった。

高校3年の夏休みに自宅から父親の実家まで170kmを自転車で走った時、店舗の殆ど見当たらない地域で飲み水が切れそうになったために梨農園の直売所へ立ち寄った。
本当に美味しい梨はその直売所で食べた2個の事で、価格は2個で缶ジュース1本と同じだったと記憶しているので、梨1個が50円くらいだったはずだ。
つまり、今まで食べた中で最も美味しかった梨が最も安い梨という事になり、梨という果物へ対する価値観が完全に崩壊している現状にある。

貰い物の梨は見た目通りの大味なだけなら良かったのだけど、芯の近いと出てくる渋さが全体に広がっていて、大きさの割に食べられる範囲が半分もなかった。
ここまで来ると、食すと言うより処分すると表したくなる印象が強くなってきて、勘弁してもらいたいと項垂れながら2個を食べ切った。
こういう事があるから尚更に果物を食べる気が削がれるわけで、ましてや金を払って購入した物が美味しくなかったら、そんな事を考えると買い物カゴへ入れる気分が全く湧いてこない。