捜索に 多数の利とは 常の物?2018年08月15日 23時01分52秒

曾祖父母の所へ帰省して2日前から行方不明となっていた2歳児が無事に発見されたと報道されていた。
行方不明となった経緯としては宿泊先から徒歩で海水浴へ向かうも、途中で愚図りだして引き返して行ったきり行方が分からず、最後の目撃情報は残り20mの地点まで順調に進んでいる後ろ姿だったらしい。

俺は子守りをする際に子供が独りにならないよう気遣っていて、2歳児など愚図ろうが何しようが単独で行動させるなんて絶対にしない。
2歳児では足下を見ながら歩いている事が多いので、自宅でさえ通り過ぎてしまう危険性があって、曾祖父母の家など初めての場所で無事に戻れるはずがない。
そう考えている身からすると、家の20m手前まで順調に進んでいたからと言って目を離すなんて暴挙しか思えなくて、何をやっているのかと呆れる以外の言葉が出てこなかった。

どうせ、足腰が云々と言い訳して子供を野放しにしたのだろうけど、それなら両親の準備が整うまで宥め賺して待たせる役割だったはずなのに、ご機嫌取りのため先行した挙げ句に放り出して見失うなど愚の骨頂だ。
無事に見つかったから良いけれど、一歩間違えれば最悪の事態も容易に想像できるわけで、最近の老人は無能の極みだと怒りさえ覚える。
そうかと思えば、無事に発見した捜索ボランティアは70歳の老人という話も聞こえていて、見失った曾祖父はこのボランティアの爪の垢を煎じて飲んだ方が良いだろう。

しかし、150人体制の捜索で見つからずに単独で行動していたボランティアが見つけた辺りを考えると、大人数の捜索を怖がって隠れてしまったのではなかろうか。
逆に単独の老人を曾祖父と見間違えて出てきたと考えば合点が行く。
拡声器で母親が呼び掛けても出てこなかった件に関しても、興奮しているせいか怒声と聞き間違えそうな叫びとなっていたので、怒られると思って隠れてた可能性を考えられた。

実際のところがどういう状況だったのか情報を得ていないので知らないけれど、捜索する時の体制は対象者の年齢によって多少なり変えた方が良いのでないかろうか。
多ければ良いという単純な話でない事は今回の件で示されたので、1つの教訓となれば良いなと思う今日この頃だ。