無駄なのか 価値観次第 人による2017年10月01日 22時15分15秒

とあるアニメを鑑賞していると、ゲームを遊ぶ人と遊ばない人が議論を繰り広げていたのだけど、どうにも聞いていて納得に行かない部分が多くて少し苛ついていた。
コミックからのアニメ化された作品なので最終的な結論が既に用意されていて、その終着点へ辿り着くまでの過程として議論展開を構築したのだと想像できて、随分と浅はかな論調だと感じられた。
その中途半端な議論が最終回だったので、どうにも後腐れの大きな終わりとなったので視聴者として残念でならない。

ゲームの価格が高すぎるという話からゲームが無駄であると言われて、その意見へ対して色々と反論というか説得を繰り返していく展開だった。
しかしながら、ゲーム価格の高騰はゲームを構成する音楽や画像、3Dモデルやモーションといった要素の高品質化に伴う開発コストに由来する部分もある。
しかも、ゲーム機が最低基準とする品質を高く設計しすぎたせいで開発の難易度が上がってしまい、開発に掛かるコストが跳ね上がっている場合もあったりする。
そういった部分を説明するのではなく、ゲームが生活において無駄でないと説得する方向へ流れとなっていて、スタート時点から既に大きな疑問を抱えていた。

値段に関してはファッション性の高い衣類とゲーム価格を比較している場面があったのだけど、そこは「ファッションは生活必需品で、ゲームは必要じゃない」と言われてあっさりと引き下がっている。
これも価値観の問題もあるだろうけど、衣類が必要である事は認められても1枚数千円のTシャツが生活必需品であるとは思えない。
ファッション性を追求する事も1つの娯楽であって、お金を何処へ掛けるかの違いだけであって、衣類へ興味のない人間からすればTシャツなど3枚セット1千円で十分であり、それ以上は無駄金にしか見えない。
こういう議論もないまま、ファッションに興味のない人物まで衣類へ掛ける金額が無駄じゃないと納得していたので、行き着く先の答えが決められた茶番だと見えてしまった。

この手の議論は価値観の相違なので歩み寄りがない限りに決着しないため、無理矢理に結論へ向かわせるしかないのだと理解する反面で、もう少し上手くやってほしかったと残炎に思えた。

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