作られた 話じゃ何も 響かない2015年12月28日 23時05分49秒

今日は仕事納めで特に問題もなく平穏の内に終わり、日記のネタに困ると言いながらの帰り道だったのだけど、上記に貼り付けたツイートを目にした瞬間から総毛の逆立つ不快感と怒りが沸き上がった。
このツイートが偶然に居合わせただけの通行人が殺された事件をネタにして、捏造された嘘八百の話であって一片の事実も含まれていなくて、救護へ駆け付けた事で被害にあった被害者を冒涜していると言ってもよい。
それほどに酷い嘘を平然と垂れ流す輩の存在に呆れと怒り、そして悔しさのような感情が沸き立ってくる。

そもそも野次馬が写真を撮る行為は携帯カメラの性能が向上した事、スマフォの普及と共に通信環境が充実した事、さらにTwitterやFacebookなどのSNSの普及に影響されている。
秋葉原無差別殺傷事件の発生した2008年は上記の条件が1つも満たされておらず、日常的に写真を撮影する習慣が全く存在しない時期であり、野次馬と言えば人集りを作っての見物しているだけだった。
つまり、野次馬は写真を撮っているだけだったという話は有り得なくて、実際にカメラを構えている者が居たとしたら偶然に居合わせた報道関係者だろう。

さらに言えば、事件当時に現場へ居た人の殆どが状況を把握していなくて、交通事故が起きた程度にしか感知していなかったと言われている。
つまりは野次馬として活動する以前に、何が起きているのか分からずに無関心のまま通り過ぎる通行人が大半だったはずだ。
今でこそTwitterのような情報源があるので即座に反応もできただろうが、当時は最速の情報は知人からのメールだった時代であり、俺も事件発生30分後に秋葉原へ到着したけれど、何か大きな時間があったらしいと小耳に挟んだだけ殺傷事件の事は知らないままだった。

俺は当日に仲間内の忘年会を開く予定で秋葉原へ行ったのだけど、大通りは封鎖されている影響で殆ど行動できなくなっていた。
今であれば封鎖区画を撮影する輩が後を絶たない状況なのだが、当時は立ち止まる人すらいなかったので、やはり野次馬ばかりだったとする話と食い違ってくる。

それに何より、秋葉原に居るのはアニメオタクばかりではない。
そもそもにアニメオタクという分類そのものに疑問を感じるし、本当に適当な事をでっち上げているとしか思えなくて腹立たしい。
最近の報道を見ているとオタクを犯罪者予備軍として扱う傾向が強くて偏見を感じるけれど、オタクに善人が多いと反論しようとする流れもまた間違っている。
そもそもオタクだろうとなかろうと人間である以上は善人も悪人も存在して当然なわけで、オタクに善人が多いと主張する事も偏見の1つである。

それに何より嘘を用いて主張したところで、そこに真実が生まれ出る事などないわけで、それは結果的に守るべき対象を貶める事にもなりかねない。
嘘から出た実という言葉もあるけれど、この嘘は未来の事を言った場合の話であって、代わり得ない過去へ触れる嘘から何も産まれるわけがない。