価値あれば 対価を払う 当たり前2015年12月04日 23時50分21秒

昨日の話題に出した奨学金の返済滞納者もそうだけど、価値ある物へ対して対価を支払う感覚のない輩が増えているように感じる。
ソーシャルゲームへの課金を馬鹿にしたり、違法ダウンロードを正当と主張しなりする者は当然として、必要以上に安値を追求する消費者や生活保護の不正受給者も同様に思える。
「ただより高いものはない」という言葉もあるように、無料であっても宣伝効果などの意味が隠されていたりして、何の価値もなく提供される物など存在しない。
その辺を理解していない輩が多くて、馬鹿げた主張を平然と並べ立てるから呆れてしまう。

一見すると無料に見えるサービスが溢れている現状から錯覚しているのだろうけど、その誤った認識が正されないまま成長してしまう社会を見ていると、それなりに苦労させないと有り難みが分からないのではなかろうか。
以前に問題となった給食費の滞納問題に関しても、子供に罪がないからと滞納している児童へも配給されていた事から返済の意思を示さず、そのまま卒業してしまう事例があった。
給食は1人分を数十円という価格で提供されていて、それなりに影響バランスも考えた献立も作られており、家庭では再現不可能な高水準のシステムとなっている。

その極限まで絞られた飛鷹さえも滞納、要するに無価値と言い張るのであれば、子供が可哀想だの何だと言わずに滞納者の子供だけ弁当を持参するよう言いつければ良かった。
毎日に弁当を用意する手間だけ考えても給食の価値を時間できるし、弁当代わりにコンビニを利用させても栄養の偏りなど問題になってくる。
そんな苦労を半年でも味わえば、給食費を滞納しよう等と思わなくなったのではなかろうか。

大学の奨学金も真面目に勉強していたなら、その教育へ対する感謝の気持ちが芽生えて、しっかりと返済していこうという気分になるのではなかろうか。
大学時代を遊び呆ける楽しい時間だとか思っている輩からすると、面白くもなく受け手すらいないのに授業料を取られて、その返済を求められる事が馬鹿らしくなっているのでなかろうか。
大学での生活が価値ある物であったなら、その場へ通わせてくれた奨学金への感謝から返済義務をしっかり果たそうとする心理が働きそうなものだ。

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