癌のネタ 耳にする度 気が沈む2015年09月24日 23時55分06秒

今日は朝のニュースでタレントの乳ガン手術に関する報道を見てしまい、またもや母親の事を思い出して気持ちが沈み込んでいた。
そのタレントが悪いとは言わないのだけど、どうにもニュース番組の中で見ると他人の不幸を出汁に使っている印象から苛立ち、過去の自分へ対する嫌悪感を呼び覚まされてしまう。

実際に視聴率か稼げそうだと踏んで、本人がブログに掲載した記事から抜粋したVTRまで用意して、涙を誘うような加工にも余念のない煽り方をしていた。
そういったテレビ局の醜悪さが目に付いて苛立たされ、どうせ流すなら原文となる記事を一字一句も漏らさずに読み上げろと言いたくて、できないなら詳細はブログを見るように伝えるだけにしてほしい。
当人の言葉を勝手に編集する権利があると思えないテレビ局が、面白そうか部分だけ抜き出している事に苛立ちを覚えてしまう。

本人の言葉を有りの儘に伝えるという真摯な怠惰を撮れないのだろうか。
終末医療よりも抗ガン剤治療を望む母親に対して、諸々の事情から見込みの薄いからと本人の意向を否定した俺の言えた言葉でないだろう。
俺の意見として、抗ガン剤で苦しむ姿を見続けた者として、提案の形で言ったつもりだけど、結果的に一晩を経た母親の意見は変わっていた。
俺が変えたのだと思っているし、死刑宣告をした身の責任として抱え続けているつもりだ。

それに対して、テレビは視聴率欲しさて無責任に言葉を抜粋しているように見えて、どうにもこうにも許せないという感情が沸き上がってくる。
癌の話を聞けば母親に連想が繋がって古傷を抉られるのだけと、せめて胸くそ悪い気分にさせないでほしいと願うばかりだ。