放置した テレビの音が 抉る傷2015年07月04日 22時20分25秒

遅めの朝食を食べようとリビングへ行くと、父親が見たい番組が見終わって買い物へ出掛けるところで、テレビを消さずにそのまま出て行った。
俺は週末のテレビ番組に興味を持たないので消してくれて構わないのだが、父親なりの気遣いのつもりなどと理解しているし、耳障りなら消せば良いだけの話なのだ。
しかし、今日は乳癌に掛かった女性記者が同僚や家族に協力してもらって、蝶病生活を撮影した映像が題材となる番組が流れていて、古傷を大きく抉られるような心境となってしまった。

最初はそこまで精神的なショックを受けると思っていなくて、好きでない内容だと感じながらも朝食の準備を優先して放置していたら、話が予想以上に重たい方向へ向かった事が良くなかった。
乳癌であれば乳房の切除手術で片付くと予想したのだけど、リンパ節にも進行していた事やナレーションの言葉から考えるに、亡くなられているのだろうと思った瞬間から一気に気分が悪くなった。
それというのも、俺が母親を癌で亡くしている事に加えて、望みの薄い抗癌剤治療を継続するか、終末医療へ切り替えるかの選択を迫られた際に後者を薦めて、実質的に死刑宣告ような発言をした過去がある。

母親が最終的に決断した事は間違えないし、終末医療へ切り替えてから笑顔のある充実した時間を過ごしていたように見えたし、終末医療を進めた事を後悔していない。
それでも母親に対して死刑宣告に等しい言葉を掛けた事実は気分の良いモノではなくて、癌の闘病に関する話題を耳にすると気分が悪くなってしまう。
ある意味では生々しく闘病を描き出しているのだから、知らない人は見ておくべきと思うのだけど、その反面で既に知っている人間にとっては毒と成り得る。
父親も番組内容など知らずに放置したのだろうけど、洒落にならないと恨めしく思えて仕方なかった。