決まりなら 面倒だけど 仕方ない2015年07月01日 23時26分31秒

今日は仕事で馬鹿かと呆れるような状況に出会して、何故に常識的な事を当たり前にやってくれないのかと溜め息が漏れた。
今の作業は客先の技術者が機能面を作成して、俺が実際に活用するシステム面を開発していくスタイルとなっている。
機能の作成も他の協力会社が担当しているようなのだが、必要となる機能の先読みが甘かったり、余計な制約を掛けたせいで不都合が起きたりと、お世辞にも優秀と呼べない。

今日は2週間前から依頼していた拡張が終わったと連絡してきたのだ、こちらにとって厄介な方法で実装してきたので、眉間にしわを寄せながら対応していた。
地味な苦労の末に実装を済ませて、テストへ取り掛かってみると全く動作しなくて、あれやこれやと試してみても動かなかった。
どう考えても行われたはずの拡張が適用されていないと確信して、状況を問い合わせてみれば「開発環境への適用を忘れていた」との回答が帰ってきた。

今の開発環境は日に1~3回もリセットされる変な環境となっており、テストへ取り掛かる際はユーザー作成から始める面倒を被っている。
先方も同様に面倒と感じていたらしく、テストデータを用意するのが面倒だからと本番環境で開発していたらしい。
これは何のために本番と開発を別に用意する理由を根底から崩す所行であり、何をやっているのかと呆れるはかりだった。

テストデータを用意するのも一苦労ではあるけれど、そういう環境なのだから致し方ないと諦めて手間を掛けるのだ本来であり、楽な法へ逃げた挙げ句にミスを犯していては元も子もない。
ましてや、開発環境への適用を忘れたままに完了と通知してくるとかあり得ない。

今一つ スッキリしない あの事件2015年07月02日 23時42分46秒

先日、新幹線で乗客の老人男性が車内にガソリンを巻いて焼身自殺した事件が起きた。
操作の中で他の乗客へ被害と及ぶ可能性を認知していたと認定され、女性1人が巻き添えで死亡しているため、自殺でなく殺人事件としての立憲を目指しているらしい。
この事を踏まえて、ガソリンを撒いて着火した男性は犯人と呼称すべき存在となった。

犯人に関する身辺に関しても幾つかの情報が流れていて、年金の支給額へ対して不満を漏らしていた事、ポリタンクを抱えてガソリンを買おうとした事が明らかになっている。
年金の支給額は24万円、月当たり12万円で生活が成り立たないと言っていたようで、額面だけ聞いていると贅沢を言っているようにか聞こえてこない。
都内で一人暮らししていたとも聞いているので、もっと家賃や物価の安い地区へ引っ越していたら良かったのではなかろうか。

生活苦に関しては遙か以前から対策を取っておくべき問題であり、そもそも破綻している年金に寄り掛かったきりの時点で呆れてしまう。
本来であれば、制度が廃止されて何も出ない状況でも不思議がなくて、現状の支給は現役世代からの搾取で成り立っている。
それなのに文句を付けられると、強制的に搾取させられている世代に生きる俺としては苛立ちを覚えるし、ましてやは殺人衝動の理由にされたら腸の煮えくり返る気分になる。

紐解けば苛立つばかりの事件ではあるけれど、問題の新幹線で乗務員を勤めていた運転手の行動には感心した。
火傷を負いながらもガソリンの火を消火した上で、安全確認から運行までこなした末に駅から救急搬送されたと聞いていて、よくぞ頑張ったと賞賛の言葉を贈りたい活躍ぶりだ。
こういう乗務員が居るのなら、新幹線はこれからも無事故で運行されると期待できる。

しかしながら、今回の事件では犯人の不審な行動を乗客の多くが目撃しながら、取り押さえるなどの行動が聞こえてこなくて、事件を未然に防げたのでないかと思えて残念だ。
一般人に危険を犯せと強要するつもりもないのだけど、自己防衛が引いては事件の抑止となる場合もあるので、他人事と客観視しているのもどうかと思ってしまう。

梅雨らしい 雨と湿度の 不快感2015年07月03日 23時46分54秒

今日は朝から雨の降り続く梅雨らしい天気なのだけど、雨足の強さに大きな偏りがあって、最も激しく降った時間帯は雷鳴の聞こえない事が不思議なほどとなっていた。
あの雨量が30分も続いたら道路が冠水しても不思議でない印象で、実際に激しい雨が続いた千葉県では道路が膝丈まで水没して、自動車に閉じ込められたとの通報まであっだらしい。

仕事場の激しい雨は5分ほど続いた後に落ち着いて、また60分ほど経過したら雨足か強まるといった具合だった。
天気予報では午後に上がって、夕方から再び降り始めると聞いていたけど、中休みが殆どないまま夕暮れとなった。
雨に関しては仕事場へ着いてしまえば何の問題もないのだけど、湿度が異様なまでに高くて汗が乾かなくて終日に不快な思いをしていた。
しかも、汗が乾かないと体温が下がらないわけで、扇風機の直風を浴びながらどうにか踏ん張っていたけれど、体力の消耗が激しいようで昼食の直後から空腹感に苛まれていた。

湿度の高さに加えて、雨天で気温が上がらないだろうと長袖にしたら、途中から生暖かい南風が入ってきた影響で蒸し暑くなり、備えが盛大に裏目となるなど散々だった。
今のところは水分補給が間に合っているので脱水症状になっていないが、今日の天気は汗っかきにとって最悪とも言える状況だった。
何とか乗り切れたのは良いのだけど、明日に疲労から体調を崩しそうな予感がしてならない。

放置した テレビの音が 抉る傷2015年07月04日 22時20分25秒

遅めの朝食を食べようとリビングへ行くと、父親が見たい番組が見終わって買い物へ出掛けるところで、テレビを消さずにそのまま出て行った。
俺は週末のテレビ番組に興味を持たないので消してくれて構わないのだが、父親なりの気遣いのつもりなどと理解しているし、耳障りなら消せば良いだけの話なのだ。
しかし、今日は乳癌に掛かった女性記者が同僚や家族に協力してもらって、蝶病生活を撮影した映像が題材となる番組が流れていて、古傷を大きく抉られるような心境となってしまった。

最初はそこまで精神的なショックを受けると思っていなくて、好きでない内容だと感じながらも朝食の準備を優先して放置していたら、話が予想以上に重たい方向へ向かった事が良くなかった。
乳癌であれば乳房の切除手術で片付くと予想したのだけど、リンパ節にも進行していた事やナレーションの言葉から考えるに、亡くなられているのだろうと思った瞬間から一気に気分が悪くなった。
それというのも、俺が母親を癌で亡くしている事に加えて、望みの薄い抗癌剤治療を継続するか、終末医療へ切り替えるかの選択を迫られた際に後者を薦めて、実質的に死刑宣告ような発言をした過去がある。

母親が最終的に決断した事は間違えないし、終末医療へ切り替えてから笑顔のある充実した時間を過ごしていたように見えたし、終末医療を進めた事を後悔していない。
それでも母親に対して死刑宣告に等しい言葉を掛けた事実は気分の良いモノではなくて、癌の闘病に関する話題を耳にすると気分が悪くなってしまう。
ある意味では生々しく闘病を描き出しているのだから、知らない人は見ておくべきと思うのだけど、その反面で既に知っている人間にとっては毒と成り得る。
父親も番組内容など知らずに放置したのだろうけど、洒落にならないと恨めしく思えて仕方なかった。

豚肉の 厚さ違いで 胃もたれに2015年07月05日 21時33分10秒

年に数回のペースでToda氏の自宅に俺を含めて3人の同窓生が集まり、焼き肉や豚しゃぶを囲んでの宴会が催されている。
この宴会は食べ過ぎる場合が非常に多い事から、日曜にゆっくり休んでから平日を迎えられるために土曜の開催が基本となっている。
今回は参加メンバーの都合が合わなかった影響で、日曜の今日に開催される運びとなったので午後から参加してきたけれど、適当な無茶ができる状況出ない事から若干に困惑気味となっていた。
結果としては少し食べ過ぎた程度で済んでいるから、ゆっくりと休んでおけば月曜の仕事へ影響を及ぼさないだろう。

買い出しの時点では控えめにしておこうと気を付けたので、普段に比べたら随分と少なめで抑えられたのだけど、豚肉の方で仕入れの間違えがあった影響が大きかった。
仕入れた豚肉は豚しゃぶ用の薄切り肉2kgだったのだけど、1kgが父親の取り違えから生姜焼き用で厚さ2倍の薄切りとなっていた。
やや厚切りながらも薄切り肉である事に変わりないので、豚しゃぶで十分に食べられる大きさだったのだけど、食べ応えの違いは満腹中枢を強く刺激した上に消化も悪くて、箸が普段よりも早い段階で停まってしまい、再び動き出すまでの食休みも長めとなっていた。

生姜焼き用1kgを先に開封した事は不幸中の幸いで、先ほどよりも薄切りだと思えばこそ豚しゃぶ用1kgが食べられて、逆だったら予想以上の重さに箸を止めた後に再び動き出せなかっただろう。
ある意味では肉の厚さがどれほど影響するのか体験できたと考えれば、悪い事ばかりでもなかったように思える。

食べ過ぎは 翌日までも 蝕むか2015年07月06日 23時26分16秒

昨日にToda氏の所での宴会で食べ過ぎた影響もあって、今日は朝から食欲があまりなくて若干の胃もたれも起こしている。
それでも行動不能となるほど体調を崩しているわけでもなく、胃もたれも朝食と一緒に流れる程度の軽傷で済んでいた。
総合的に考えれば調子の良い方なのだけど、消化に体力を消耗したようで随分と気怠い朝となっている。

それに加えて、取り過ぎたカロリーを燃やそうとしているのか妙な発熱が続いていて、涼しいはずの天気なのに扇風機へ当たり続けて過ごしていた。
最初は風邪でも引いたのかと疑ったのだけど、どうも背中ばかりが暑苦しくて他に異常もないので、余分なカロリーを燃やそうとしているのだと理解した。
暴食の影響は気を付けていても避けられないようで、暑さと眠気に襲われながらの仕事は辛かった。

今日は必要最低限の食事だけど良いと思っているのだけど、昨日の夕食を不要と伝えてあったのに、父親が間違えて俺の分も作ってしまった。
それと負担よりも多めに作ってしまったようで、今夜は処理を手伝わなければならなくなっている。
願わくば、食べたくないと言いたいほどの負担となっていて、宴会を日曜にやるもんじやないとら痛感させられた。

ボカロがさ 衰退したと 言われてる2015年07月07日 20時02分09秒

歌声合成ソフトVOCALOIDを用いた音楽文化が発展して、ボカロという1つのジャンルとして認知されて久しい今日この頃、最近になって「ボカロ文化が衰退した」という話が多く聞かれる。
このテーマについて色々と分析している人がいるのだけど、俺の主観で語るなら「衰退した」のではなく「変質していた」と見るべきと考える。

俺にとってのボカロは音楽の同人活動に該当する文化であり、趣味として楽しむものであって、共感できる人だけが手に取ればよいと公開された音楽と認識している。
趣味として楽しむからこそ好きな楽曲が作られて、その多くはブームが去って廃れたジャンルの音楽であったため、同時期に多種多様な曲が発表されていた。

動画を開く度に異なる曲と触れられる楽しさが好きだったのだけど、数年前から再生数やコメント数を意図的に増やす工作行為が横行した頃から、ボカロ文化の変質が始まって面白くなくなった。
人気や流行りといった概念が持ち込まれた事で、人気度を引き上げるための工作行為が始まって、流行の名の下に似たり寄ったりの曲が多発するようになる。
その影響で人気も流行りも見ていない純粋なボカロ曲は埋もれていき、発掘することさえも困難な状況を生み出した。

最終的に商売としてボカロ文化へ着目する輩が現れた辺りをみていると、趣味の同人から金儲けの商業へ変質したように感じられる。
趣味として楽しんでいた人等は商業の流れを煙たがって退き、紛い物がさらに幅を利かせるようになった。
最初は先駆者の残した熱量があるから保っていたけど、紛い物の実力は本物に程遠いから下火となってきた。
これが衰退したように見えるのだろうけど、そもそも本物が居ないのだから当然の結果であり、紛い物ばかりとなる変質こそ原因であると考える。

風習も 改変されて 混ぜられて2015年07月08日 23時16分56秒

七夕伝説の発祥は何処なのか、という話題我が社内で起こった事から調べてみると、元からあった伝説と奈良時代に中国から伝来した小説を混ぜ合わせて完成したそうだ。
こうして調べてみると酷く陳腐に見えてきて、短冊に願い事を書いたところで叶うわけがないと思えてしまう。
本来の短冊には願い事ではなく、抱負を書いていたはずなので、元より祈る場所と時を大きく間違えている。
恐らくは流れ星への願掛けと混同したものと予想され、脈々と改変され続けている様には苦笑してしまう。

日本は他国から様々な風習を取り込んでいるけれど、その大概は本来と全く異なる様相となっている。
代表例はクリスマスであり、本番よりも前夜祭であるイブが重要視されていたり、プレゼントの風習など付け加えられている。
この辺りは玩具メーカーや何かの策略で布教された背景から想像できる改変だけど、家族よりも恋人と過ごす日と定義されているのは何故だろうか。
ホテルやレストランの戦略と考えたら納得できなくもないけど、元々は家族でケーキを囲んでいたので、外出するというのは妙な発送に感じられる。

イブの方が重要視されている事も含めても、業界戦略に寄らない改変でないかと思えてくる。
日本人が根っからの祭り好きであり、文化を改変する事への抵抗感のない民族と言えるだろう。
そして、改変されている事にも気付かない頸骨があって、そう考えたら随分と流されやすい性質に思えてきて、若干の寂しさを感じてしまった。

早熟の 過ぎる講座は 危険かな?2015年07月09日 23時48分52秒

今朝のニュース番組の中で子供の習い事に関する特集があって、最近に子供向けプログラミング講座が人気だと紹介されていた。
教え方は処理・分岐・繰り返しを担当するブロックを繋ぎ合わせて、プログラムを表現する学習ツールから始めて、最終的にコードを組むまで進んでいく方式だった。
これは最近に軽視される流れ図から始めるカリキュラムに相当して、基礎からしっかりと学べるので良いと思うのだけど、小学生から始めてよいものか疑問を感じる。

プログラミングを行う上で数学的な考え方を中心に、中学や高校の学習範囲で身に付けるべき知性が求められる。
それを先行して習得する事は悪いことでないだろうが、一概に良いことと言い切って良いものかどうか疑問を感じる。
学習には理想的な手順が存在していて、義務教育はその理想を踏襲しながら組まれているので、先走る事で悪影響が生じないか心配になる。

例えは、将来をプログラマと子供の頃に決めて、それしかないと思いこんで他の才能を伸ばす事を諦めてしまう。
そして、納期という時間を守ることも知らず、苦労を乗り越えて踏ん張る気概もない大人となり、趣味レベルでしかプログラムが組めない輩へ成長したなら、プログラマどころか社会人として生きていけなくなる。

こういうオチが付いてしまいそうで、今時の根性なしな子供に楽な仕事と認知されないか心配になる。
仕事としてのプログラマは理不尽と戦う忍耐力を必要とするので、技術力だけ育てても意味がないとように思う。

安直に 癌を持ち出す 軽率さ2015年07月10日 23時40分11秒

職場ではラジオ番組が垂れ流しにされていているのだけど、金曜は取り立てて面白味のある放送がないのでラジオドラマを流したりしている。
今日も適当なラジオドラマが流されていたのだけど、現代で治療できない難病を患った主人公が冷凍保存されて、治療法の確立した未来で目覚める話だった。
しかし、問題の難病が末期の肝臓癌という設定になっていたので、端っから治療を放棄する医者、人生を諦める主人公に患者を省みず生きろと泣きつく配偶者という構図に対して、腸の煮えくり返るような嫌悪感を覚えたので消してもらった。

フィクションだからと割り切れたなら良いのだけど、それなら難病も架空の病気で良かったはずであり、安易に癌を引っ張り出してきた事が腹立たしくて我慢ならなかった。
そもそもに人体の冷凍保存技術が確立している時代に、末期といえ肝臓癌を初診から見放すなんて馬鹿げている。
そんな安易な選択をするくらいならば、架空の病気を持ち出した方がよほど現実的だろう。
そうこうと考えていたら物凄く腹立たしく思えてしまった。

通常なら嫌悪感を覚えたとしても、止めるよう要望するまでに至らないはずなのだが、先週末に癌患者の闘病生活を垣間見る特集番組で古傷を抉った影響が残っているようだ。
実際問題として、日本人の死亡原因のトップに君臨する病気を安易に持ち出すのは控えた方が良いと思われる。