限定が 何を生むのか 捨てるのか2014年12月22日 23時23分13秒

先日に東京駅100周年を記念しての記念Suicaカードが限定数1万5千枚で販売されるも、準備の甘さや行列へ並ぶ人々のマナーが悪かった事から販売停止となり、一部が暴徒化するなど大混乱を引き起こす事態となった。
限定数は1万5千枚ながら一人3枚まで購入できる事から早ければ5千人で終わる数の少なさ、徹夜や早朝から列を作らないよう広告に記載されも徹底されていないなど、こういったイベントを見慣れているとオタクからすれば混乱が目に見えていた。

始発の電車へ乗ってきただの、体調に難が有りながら無理してきただのと苦労を自慢する輩が多く見受けられて、販売中止の発表に対して諦め悪く食い下がり、挙げ句に暴動を誘導するような怒声まで飛んでいた。
こういう文句を言い出す連中がマナー違反を起こしたり、列を乱して大きな混乱の引き金となっている場合が多くて、ともすれば販売停止の要因と言ってもよいのではないかと思う。
元はと言えば、JRの準備不足が最大の原因である事は間違えないのだけど、ルールを守らなかった連中が多かったという事実も忘れるべきでないだろう。

それより何より、何故に記念品を限定販売としたのか理解に苦しむ。
希少性を高める事で反響が大きくなる部分は確かにあるけど、それは利益目的の販売でないのなら何の意味もないばかりか、本当の欲しい人の手元へ渡らずに、転売目的の業者が懐を暖めるだけとなるデメリットが発生する。
ゲームなどのメディアの場合、初回販売数を伸ばすために限定版と銘打つ事が良くあるけれど、それは売り上げをより確実にするためだったり、売れ残りを防止するために用いる商法であったはずだ。
今回の記念Suicaカードは印刷されるデザインを変更するだけで生産コストが少ない上に、利益でなく記念として販売される事を踏まえると限定する意味がないと感じる。

最近の流行で限定販売にしたら物珍しさから話題になるとか浅はかに考えたのではなかろうか。
10年や20年の記念なら次を待てるけど、100年は生きている保証さえないので記念としての意味合いも重いのに、下手すれば5千人で終わりになるような数しか用意しないなど見積もりが甘いにもほどがある。
そもそも印刷のデザインを変更するだけなら、受注販売でも十分に対応できたはずであり、そうしなかった理由が何処にあるのかと考えてしまう。

限定販売にどういう意味があるのかをJRに限らず、今一度考えてほしいものだ。