責任を 丸投げせずに 考えろ2013年04月11日 00時42分26秒

今朝のニュースを見ていると、小学校の給食が原因で自動が食物アレルギーを起こして死亡した事件に関して、予防対策を話し合う会合が開かれたとの報道があった。
予防策としては教職居んんへ対して、一人一人の生徒が抱えるアレルギーを正確に把握して予防に努めると同時に、アレルギーの発作が出てしまった場合の処置を徹底すると言った内容だった。
要約すれば、教師に全ての責任を押し付けるという事だ。

この結論を聞いていて、議席に座っていた連中は食物アレルギー対策が如何に難しいのかを知らないのだろうと呆れていた。
食べても大丈夫かどうかを判別するためには、栄養士に近い食品に対する知識をもっている必要があり、多種多様な生徒のアレルギー体質を全て把握した上で、全員の商事を一度に監視する。
こんな芸当は専門の看護師であっても一度に4人ほどが限度なのに、30人近いクラスを一人の担任教師に監視させるのは無理がある。
ましてや、付け焼き刃の知識で自分勝手に動き回る子供を相手に監視するなど不可能に近い。

テレビを見ていると「子供を預かる責任」という言葉頻繁に使われるのだけど、「子供を預ける親の責任」は存在しないのだろうか?
重度の食物アレルギーがある子供を預ける親として、専属ヘルパーを手配したり、子供に食べられない食材を見分ける能力を備えさせるなどの対策を講じないのは何故だろうか。
もっと言うなれば、重度の食物アレルギーを抱える子供として障害者学校へ通わせて、医学知識をしっかりと備えた教師の下で安全に学ばせる選択もあったはずだ。

最近は教師に対して様々な事を要求しすぎていて、便利屋か何かと勘違いしていると怒りさえ覚える事も珍しくない。
学校は共同生活の中で生徒が互いに高めあって社会性を身に付ける場で、教師は知識を与えると同時に健全な環境を保つための監督を行うが、躾は家庭で行うべきだし、医療を受けたければ病院へ行くべきだ。
食物アレルギーの対策は医療であって素人の教師に高望みすべきでなく、食べてよいのか否かを判断する躾は家庭で済ませてくるべきだ。
教師は万能じゃないし、ましてや特定の生徒のために存在している訳じゃない。
子供を預かっている事は確かだけど、預けている身としての責任を果たしてから要求を出すべきだと思う。