間違えを 正すことさえ できないと・・・2012年10月26日 22時29分04秒

イヤホンを着用しながらの自転車を走らせる行為について調べる機会があって、検索を掛けていた時に辿り就いたブログ記事が腹立たしい事この上なく、午後の集中力を事欠くほどに苛立っていた
件のブログ記事はイヤホンを着用したまま自転車の運転が禁止される事に対して、イヤホンから漏れる音が周囲に迷惑を掛けると考えられず、納得できない悪報であるという内容となっていた。

この記事の中で言われている「迷惑」とは、イヤホンからの音漏れに驚いた老人が転倒して負傷するような実害を指していて、そのような事故は確かに起こり得ないと言って差し支えないだろう。
だが、こんな起こり得ない事故を予防するために法改定がなされる事の方が有り得なくて、どれだけ愚かなのかと呆れ事さえも忘れて哀れみを感じていた。

イヤホン着用のしたままで自転車を運転する事の危険性は、周囲がイヤホンから漏れる音に驚く事ではなく、聴覚という知覚が損なわれる事と、運転に対する集中力が低下して、注意力が散漫となる危険性から禁止されている。
言葉を重ねる事となるけれど、断じてイヤホンからの音漏れに驚く人がいるからではない。

もちろん大きな音漏れは迷惑千万である事は言うまでもないとして、本質的に件のブログ記事を書いた人は明らかに視点がそれており、それを公にさも当然のように晒し続けている。
あのような記事を目にして誤った認識を共有してしまい、危険行為を平然と繰り返す人が出てしまう危険性を感じて、認識の間違えを指摘しようと思ったのだけど、コメントの投稿フォームが存在しなくて対処できなかった。
妙だと思って、件の記事の文末を読んでみれば「一個人の意見として書いているので、コメント禁止とさせて頂きます」と書かれていており、この記述と行為に対して、俺が更なる怒りを感じた事となった。

コメントを付けさせない、という事は他人の意見を聞かない事を意味して、自分の意見を一方的に押し付ける論者として最低の行為だ。
このような体裁を取るのであれば、心の奥底へ封じて表に出すべきでなく、表へ出すのであれば他者の意見を聞く準備くらいするのが礼儀だろう。
今回の件で言えば、そもそもの認識が間違っている旨をコメントできれば、記事の削除や訂正が成されなくても、本文と合わせて見てもらえる可能性が残るわけで、間違えを正してもらえる機会さえ封じる事はやるべきでない。