教師なら 言葉に責を 負うべきだ2012年10月23日 22時28分04秒

今日も会社で環境音としてラジオが流されていて、番組の中で「根に持っている事」をテーマに視聴者から投稿してもらうコーナーがあった。
そのコーナーの中で読まれた投稿の1つに、小学生の頃に交換日記を盗まれる事件があって、当時の担任へ訴えたのに「盗まれる方が悪い」と吐き捨てられたエピソードが紹介された。
こういう暴言を平気で吐くような人間が教職に就いていた過去と、今も同じ用な事を口走る教職員が少なからず存在するだろう事に憤りを感じる。

似た所で「イジメられる方が悪い」という言葉もあるけど、逆説を考えると「盗む方が良い」「イジメる方が良い」となるわけで、どれほどに卑劣な暴言であるか理解してもらえるだろう。
俺の前で「盗まれる方が悪い」や「イジメられる方が悪い」と吐く奴が在れば、その言葉の通りに顔の原型が分からなくなる程に殴ってやろう。
そして、「イジメられる方が悪い」や「強盗される方が悪い」と吐き捨てて、どれほどの暴言を吐いたのか体験してもらえば、少しくらい考えを改めてくれるだろうか。

もちろん教職員と言っても人間なので完璧を求めたりしないけど、教える立場であるのだから言葉に責任を負うべきだ。
まして、犯罪に当たる行為を暴言によって隠蔽するなど論外であり、社会人としての責任感の有無よりもっと前の段階、それこそ小学生へ立ち戻って教育を受けてくるべきだろう。
最低限度に言える事は教職員として働く資格を有さない人間性であり、そんな教師に担任された肩を心から哀れに感じる。

教職員の給料が激務の割に安いと聞いたりもするけど、子供の将来を担っていると言っても過言ではないのだと自覚して欲しい。
最低でも犯罪を認めるような暴言だけは絶対に言ってほしくなくて、歪むことなく卒業していけるようにしてやってほしい。