匿名も 免罪符には ならないよ2012年05月11日 22時32分21秒

インターネットの特徴の1つである匿名性を取り違えているらしく、日常で使われない荒々しい言葉が平然と飛び交う場面も珍しくない。
最近ではインターネット上で受けた暴言が元となり、精神的傷害を負うという事例も聞かれるようになり、ここに居場所を見付けた人間としては悲しくなってくる。

俺にしても日頃の愚痴や何かを垂れ流しているわけで、決して褒められた発言ばかり並べているわけでもない。
しかし、政治に対して非難する事こそあったとしても、特定の個人へ向けた攻撃的言葉を書き殴った覚えはない。
ましてや、このブログという形式での発言は見る側に閲覧の選択権があるわけで、俺の拙い文章など気分を害してまで読む謂われなど存在しないはずだ。

インターネット上で暴言を吐く人間は口々に「日常より自由に発言できる」と言う。
これは匿名性という特性を誤解してのだと俺は理解する。

匿名性は別人へ変われる万能な鎧ではなく、小さな仮面のような脆弱な隔たりでしかない。
匿名性という仮面の下には人の顔が存在しており、投げ掛けられた言葉を受け止めるのは常に生身の人間であって、傷付きもすれば泣きも笑いもする心を持った存在がそこにいる。
匿名性により顔が見えなくても、間違えなく人と人との間で交わされるコミュニケーションなのだ。

書き込みの際に用いるアカウントや割り振られるIDは代弁者でなく、発言はあくまでも発した本人の言葉であって、アカウントやIDを変えたとしても発言の持ち主が変わない。
何処にも記録されていなくとも、誰の記憶にも残っていなくても、発言が書き込んだ本人の物である事実は未来永劫に変わることはない。
そう思って、多少なりと発言に責任を持ってほしい。いう

「ネットは自由だ」というけれど、無法であるという意味で捕らえてほしくない。
ネットの与える自由は、距離や世代・性別の作り出す隔たりからの解放を指していて、誰を傷付けても許されるわけではない。

日常だろうとネット上だろうと、被害者へなりたくないのであれば、加害者へならない努力をすべきだ。