電飾は 眩しいだけで 嫌いだな2011年09月26日 23時17分37秒

持ち帰りの仕事に明け暮れて3連休を殆ど休まないまま潰して、週明けの月曜とは思えない疲労感を背負いながらの出社した今日は、細々とした単純ミスを繰り返して何度も心を折れそうになっていた。
単純なミスに気付かず頭を抱える場面が本当に多くて、連休中に作業分のテストと修正だけで半日も潰してしまい、再び自分の不甲斐なさから首を絞める格好となっている。
それでも最低限のノルマだけは辛うじて達成しているけれど、最後のテストが完了した時点で完全に燃え尽きてしまって、明日の作業へ向けた下準備にさえ着手できないまま、欠伸を繰り返しながらの帰り道となっている。

単純ミスに頭を抱えながら作業している時に流れていたラジオで、節電に関してイルミネーションを自粛すべきか否かについて、リスナーからの意見を募集していた。
俺としてはイルミネーションを含めた電飾の類に関して、節電の話が出る遙か以前から電気の無駄遣いだと感じていて、浪費社会を象徴する愚考の1つに数えていたので、今回の震災を機に全面的廃止で良いと思っている。
俺が夜盲症で夜道に苦労していることを知っている人なら、明るいイルミネーションへの反対意見を意外と思うだろうが、電飾による派手さを競うような光は強すぎるため、目を開けているだけでも相当な負担となる。
更に眩しすぎる明かりの下から出た瞬間に見る暗闇は、失明したのではないかと思って居まうほどの深さで、明暗の差に追い付けていないだけと分かっていても、恐怖を感じてしまうほどに強烈な印象を与えてくれる。
つまり、眩しい光源であるイルミネーションは俺にとって脅威であり、遠回りして避けるほどに迷惑な代物となるので、全面的に廃止して欲しいと願わずにいられない。

ラジオで読み上げられる賛成意見を聞いていても「最近は暗いニュースが多いので明るい話題が欲しい」などが多くて、具体的にイルミネーションを実行する意義を感じさせる話はなくて、やはり不必要な贅沢品と同列に思えた。
反対意見の中には「電飾ではなく、キャンドルで十分」とか「山へ登って星空という天然のイルミネーションで十分に感動できる」といった意見が寄せられていて、電気を使わずに楽しもうという意見に感心していた。
感動は電飾のような派手さなくても得られるはずであり、人々の心を揺さぶろうと思うのであれば、反対意見の少ない形を工夫すべきだと考える。
そういった諸々の意味も踏まえて、俺はイルミネーションに反対する。