[小説:闇に舞う者] part422011年08月14日 20時38分19秒

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ルワンがチェルニー達の特殊な力に僅かな希望を見出すより少し前、ティティスは額に汗を滲ませながら戦闘を見守っていた。
ルワンの魔導力が心理状態に大きく影響を受ける事を知っていれば、チェルニーの両親を相手に苦戦する理由など簡単に推測できた。
悪い予感を肯定するようにルワンの劣勢が続いていく中で、ティティスは必死になって不安を表に出さないように注意していた。
既に両親の豹変を目の当たりにして動揺しているチェルニーに、更なる不安を与えてしまうと心が壊れてしまうと考えての行動だった。
「ねぇ、お兄ちゃん。治せないなら、パパとママを楽にしてあげてよ。」
隣から漏れてきた声に視線を移す先には、焦点の定まらない目をしたチェルニーの姿があり、見た瞬間に背筋へ冷たい電流が流れた。
「きっとパパもママも苦しいよ。ボクは恨まないから、お兄ちゃんまで居なくなっちゃう方が辛いから。だから、だからね。」
無理に笑おうとしても涙は止まらず、口の端が吊り上がった表情は狂気さえ感じさせる。
チェルニーの精神は既にストレスで限界まで押し潰されていると直感して、何か手を打たなければ手遅れになってしまう気がした。
「治せなくても、生きられない訳じゃない。ルワンもそう考えてる。だから、殺さない。」
ティティスは自分の口が言葉を発した事へ気付いたのは、チェルニーが狂気の混じった顔を向けてきた後の事だった。
「お兄ちゃんが辛そう。死んじゃう。イヤだよ。怖いよ。ボク達は仕方がないよ。でも、お兄ちゃんやお姉ちゃんはイヤだよ。」
悲しいほどの優しさがチェルニーの幼い心を潰そうとしていた。
ティティスはそんな優しすぎる少女に投げ掛ける言葉を見付けられず、呆然として無力さに打ちひしがれる他に何もできなかった。

ルワン達の方へ視線を戻した後、チェルニーは再び自分を守る結界に拳を打ち付けた。
鉄のように堅いはずの障壁をどれだけ殴ろうとも痛みに感じる事もなく、当然のように壊れる気配など微塵も感じられなかった。
「お願い、お兄ちゃんの所へ行かせて。無理をしなくても良いよって伝えたいの。」
物言わぬ結界へ向かって拳と共に言葉を叩き付ける少女に、無駄だと指摘する事もできず、ティティスは見守ることしかできなかった。
何もできないなら、せめて見守る事だけは放棄したくないと、繰り返される悲痛な声から目を背けたい衝動を噛み殺していた。
悲しい経験を幾度となく経験してきた者だけが、窮地で諦めない心と活路を切り開く力を手にする事ができる。
ルワンの体験談を元に書かれた小説「赤の書」の後書きに書かれた言葉を思い出して、ティティスは目の前の悲しみに耐えていた。

チェルニーは自分のパニック状態に陥っている事を自覚していた。
徐々に思考の範囲が狭くなっていき、行動の目的を忘れて行為だけに没頭していく。
それは辛い現実を直視できずに混乱しているというより、悲しみから逃げるため考える事を放棄しているようだった。
色を失い始めた視界に最後まで残っていた景色は、動き回りながら忙しなく瞬く光と、そこから広がる波紋が描き出す世界だった。
知り合って間もない青年が、現実から目を背けようとしている自分の代わりに、今もなお戦い続けている。
その事実を絶望の暗闇の中で思い出した時、チェルニーの凍り付いた思考に新たな言葉が生まれた。
「お兄ちゃんに謝らなきゃいけない。」
何を謝るのか、何故に謝るのか。
思い浮かんだ疑問は闇に解けて消え失せ、謝りに行きたいという感情が溢れかえっていく。
足を前に出そうとしたら、目の前に立ちはだかる高い壁にぶつかってしまった。
優しげな輝きを放つ壁に触れると、愛おしい人の腕に抱かれているような心地よい温もりが伝わってきた。
両親のそれとは違う温もりは、力強さと優しさが織り込まれた布団のように包み込んできてくれる。
そのまま眠ってしまいそうな居心地の良さを振り払って、大きく何度か深呼吸を繰り返してから壁に向かって語り掛けた。
「ボクを守るのが君の仕事なんだよね。だから、退いてとは言わない。でも、お兄ちゃんの所まで動いてほしいの。お願い。」
チェルニーの放った言葉が壁に染み込んで波紋となって広がっていく。

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