節電で エコな社会を 目指そうよ2011年04月05日 20時26分41秒

ウィルコムのサービスコインを利用して手に入れたバッテリーは会長に動いており、昨夜の帰り道は邪魔な警告が表示されなかっただけでなく、残量メーターの3段の目盛りは1つも減らなかった。
先週まで毎晩に充電をしていても、帰りにバッテリー残量が足りないと警告を受けていたから忘れていたけど、購入した当初はも3日に1回のペースで充電器を使えば事足りていたから、当然の結果なのだが軽く感動してした。
不便だなんだと文句を言っていても使えない訳でもないから、慣らしてしまえば多少の不便は無視できるのだと再認識した。

3月11日の震災から派生した原子力発電所の事故に関連して、計画停電や節電へ対する取り込みなんかを見ていても思うが、無ければないで工夫次第で何とか乗り切れるのだから、発電所を増やす必要はない気がする。
もちろん産業への影響があるから考えるべき問題は多いだろうけど、一般家庭の消費電力は昭和に比べて5倍となっている計算結果もあり、一昔前まで生活水準を落とせば何とかなる気がする。
それに家電製品は昔よりも省エネ設計となっているから、必要上に家電製品へ頼りさえしなければ、生活水準を下げるにしても捨てるまで行かないで済むように思う。

例えば、スパゲティを電子レンジを作って手早く茹で上げたり、朝風呂へ入って髪を乾かすのにドライヤーを使ったり、時間と手間さえ惜しまなければ代用の効く場面は多くあるはずだ。
上記の例は我が家の疫病神である姉貴の日常から引っ張り出しており、節電への努力が成されている昨今でも繰り返されている贅沢の例である。
我が家では電気代の実に半分が疫病神の浪費による負担であるため、奴を追い出しさえすれば電気使用量の5割カットができるのだが、腹立たし居事に出ていくつもりも嫁へ行くつもりもないらしくて困っている。

俺に関して言えばPCが電気を食っているけれど、室温が38度を越えない限りは冷房を使わないと決めているし、設定温度も冷房の上限である30度にしているから、人から贅沢だと言われるほどでないと思う。
それに猛暑だった去年でさえも、ハードディスクの移行のためPCを長時間に稼動させなければならない時の1回しか稼動させていなくて、予備として設置されているだけの飾りと化している。
昔よりも平均気温が上がっている事は間違えないけれど、地球温暖化だって現代人の浪費が招いた結果なのだから、甘んじて苦渋を飲まされるべきだと俺は考えている。

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